ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

柴﨑礼士郎(2017.12)談話構造の拡張と構文化について:近現代日本語の「事実」を中心に

柴﨑礼士郎(2017.12)「談話構造の拡張と構文化について:近現代日本語の「事実」を中心に」加藤重広滝浦真人編『日本語語用論フォーラム 2』ひつじ書房、pp.107-133

主旨

  • 漢語の文副詞化(論文では名詞の副詞化)に関して、特に「事実」が近代以降に文副詞化する(4節)
  • この変化が、構文化(Constructionalization)研究と符号することを説明」(p.109)

    • 事実、法文に規定の標準を示したりとて、…(p.115)
  • 変化の方向として以下を想定*1

    • (i) ~のは事実だ。:[clause1 + 事実-COP]
    • (ii) ~のは事実で、~。:[clause1 + 事実-COP + clause2]
    • (iii) ~。事実、~。:[…]s1 事実、 […]s2
  • 所謂「構文化」に一致することを述べ、「証拠性」という共通点をもとに、通言語性があることを指摘(5.1, 5.2)

気になるところ

  • 台本や「職場のことば」に例がなく、書き言葉寄りではないかとの指摘がある(注2)が、CSJに例あり。話し言葉では「実際」に傾くのでは?
  • 二字漢語が文副詞的な複合形式を形成する際、「○○、」「○○には」「○○的には」「○○に言えば」「○○的に言えば」のバリエーションあり
  • 例えば、前・後部に継起的な情報構造を持たない場合(ex.「~。*原因、~」)、二字漢語単独では文副詞にはなりにくい(当たり前のことかもしれないが)
    • なので、通言語性は積極的な方向性だけでなく、意味的な制約(マイナスの要因)にもよると考えた方がよいと思う