ほか とは
- 可能動詞関連の論文が同時期に2本出たので、二氏の論文を中心に
- 三宅俊浩(2016.4)「可能動詞の成立」『日本語の研究』12-2
- 三宅俊浩(2018.6)「無意志自動詞と「可能」との関係からみた「読むる・読める」の位置づけ」『国語と国文学』95-6
- 青木博史(1996.6)「可能動詞の成立について」『語文研究』81
- 青木博史(2018.4)「可能表現における助動詞「る」と可能動詞の競合について」岡﨑友子他編『バリエーションの中の日本語史』くろしお出版
- 今回は青木(1996)と三宅(2016)を見る
可能動詞成立説諸説*1
青木(1996)
- 可能動詞の成立は四段動詞の下二段派生*6による
- 下二段派生は、対応する自動詞を持たない四段他動詞が「自動詞化」するもの
- 下二段化した動詞は可能・受身・尊敬を表す
- 動詞としては「読むる」が早く、形式としては否定形式が早い
- 否定文中で特に可能の意が強く、用法を可能へと狭めていく
- 可能動詞が文法現象として成立する(対応する自動詞を持たない他動詞以外から派生する)のは1800年頃
三宅(2016)
- 現象記述としては、青木(1996)と同様の結論
- 青木(1996)との違いは、ロドリゲス日本大文典の記述から、「読むる」を動作主可能ではない「読むことができる/できない」という属性・状態的な可能(不可能)として捉える点
- 大文典では、読むるを切るる・知るると一括して絶対中性動詞とする
- 絶対中性動詞:ある状態又は可能性が主格の内部から表れ、それが他に作用を及ぼすことなく主格自体にとどまっている状況(小鹿原2015、初出2011*7)
- その他記述から、「読むる」は、
- 動作主が存在せず
- 対象語一項を主格に取るか連体修飾し
- 誰が行っても実現する(「対象可能」)動詞
- すなわち、動作主可能ではないことを主張
変遷としては以下を想定
- 中世末、切るる類からの類推で読むるが出現(この段階では動作主可能ではなく対象可能)
- 近世前期、読むるが一段化
- 読めるから言える・飲めるが派生
- 動作主可能へ派生
三宅(2018)、青木(2018)は別記事で
気になること
- 初期の例が「読むる」(の否定)に限られることを、「読むる」(の否定)から発達が始まったことと同一に扱うべきでないと思う、抄物の資料的な制約で「ここは読めない」の言い方が定型化しただけかも
- 次例は素直に読めば、前者は「読み方がわからなくて読めない」、後者は「読みつけであってキョととは読めない」ので、それぞれ講者の能力的な不可能と、対象の属性的な可能で対立すると思う
- 語而浮、赤入大- 宅モ、ヨメヌソ(玉塵抄巻2)
- キヨトハヨメヌソ、ヨミツケソ(玉塵抄巻6)
- 次例は素直に読めば、前者は「読み方がわからなくて読めない」、後者は「読みつけであってキョととは読めない」ので、それぞれ講者の能力的な不可能と、対象の属性的な可能で対立すると思う
- 玉塵抄巻6に以下の例あり
- 非意志的事態の実現の形式からの可能の意の派生(「ゆ」「る・らる」とか「見える」とか)と共通するところ、しないところが知りたい
*1:青木(1996:56)、三宅(2016:2)
*2: - 山田孝雄(1936)『日本文法学概論』宝文館、湯澤幸吉郎(1936)『徳川時代言語の研究』刀江書院、福田嘉一郎(1996)「自動詞・他動詞・可能動詞」『熊本県立大学文学部紀要』48
*3:渋谷勝己(1993)「日本語可能表現の諸相と発展」『大阪大学文学部紀要』33-1
*4:坂梨隆三(1969)「いわゆる可能動詞の成立について」『国語と国文学』46-11
*5:山田潔(2001)『玉塵抄の語法』清文堂、第1章初出1995
*6:青木博史(1995)「中世室町期における四段動詞の下二段派生」『語文研究』79
*7:小鹿原敏夫(2015)『ロドリゲス日本大文典の研究』