三宅俊浩(2018.6)無意志自動詞と「可能」との関係からみた「読むる・読める」の位置づけ
この記事の続き hjl.hatenablog.com
要点
- 三宅(2016)説、可能動詞の中で成立の早い「読むる」が「特定の動作主を取らない」対象の属性としての可能であったことを、「自動詞と可能の連続性」という観点から観察するもの
無意志自動詞の分類
- 無意志自動詞を、動作主の意志(行為)の有無、肯定否定によって4種に分類
- 1 結果生起:魚がたくさん取れた(動作主関与・肯定)
- 2 結果不生気:切っても切れぬ(動作主関与・否定)
- 3 事態自然生起:帯が切れた(動作主非関与・肯定)
- 4 事態不生起:(火事で手紙が)焼けぬ(動作主非関与・否定)
- 前二者は動作主可能ではないが、対象が意図的な結果となるかどうかを述べる点で可能と連続し、1が他動詞でも表せるのに対して2は他動詞では表せず(他動詞の場合、動作主の否定的な意志になる)、無意志自動詞の否定形だけが表せる領域
- 「読めぬ」などの否定に偏るのはこの事情によるか
その分類と「読むる」の位置付け
- 2は外的要因でのみ現れ(4.1)、その外的要因は特定の個人におこるものではなく、一般性のある阻害要因である(4.2)
- 殊更に肯定形を取る場合は「発話者の意図を超えた」場合のみで、「行為の結果局面を取り上げて述べる」ことと合致、なのであくまでも動作主可能ではない(5節)
- 読むるは、特定でない動作主に結果が生起すること、結果局面に視点を置くことなど、1, 2 に該当し、これが結局のところ、可能と連続していく*1
気になること
- 「対象がどうなったかを述べる」のは無意志動詞の特徴ではなく平叙文一般の問題なので、無意志動詞が意志動詞と異なり、動作主の意志が関与し得ない動作であるために、(仕方なく)結果の叙述を行うことになる、と見るべき?(p.59)
- 23bは特定個人の例にも見える…というような疑念が晴れないので、講者の問題で読めないのか誰でも読めないのか、という問題は、抄物の「わからない」系の表現をひっくるめて考えたときに何か答えが出ないだろうか
「動き」などガ格名詞句は目的語とは認定できず、「取れる」などの事態が起こる主体であり、主語と認定するのが妥当である。(p.55)
- この部分、ヲ→ガの拡張と関わってきたりするだろうか
- 山田昌裕(2018)「格助詞「ガ」の用法拡大の様相:ヲ格名詞(対象)に下接する用法を中心として」『国語と国文学』95-1
*1:最後に「読むる」が可能の意を持つことに関して、「読む」の語彙的な意味の観点から説明があるが、よく分からなかった(自分に元気がないので)