山田昌裕(2018.1)「格助詞「ガ」の用法拡大の様相:ヲ格名詞(対象)に下接する用法を中心として」『国語と国文学』95-1
研究史(史的研究)
- 「水が飲みたい」に見られるガヲ交替の問題に関して
要点
- 鎌倉~室町においては「非情物ガ」の例のみ、江戸以降に「有情物ガ」へと拡張(2.2)
- 「の~たい」が見られなくなることから、ガがノの領域へと広がったと推測(3.1)
- (たしに限らず、)ガは特に節・従属節において、ノの領域に進出する(山田2010)*5
- 「有情物ガ」が遅れるのは、ガでマークされると行為者としての役割が意識されるため。同様の現象はノにも見られる
- 水を飲みたい 水が飲みたい
- あいつを殴りたい あいつが殴りたい(←誰が誰を?)
- ガ・ノが、主語はガ、連体はノ、というように機能を単純化させていく流れに位置付けられる
気になること
- 行為者が誰か分からなくなるから有情物ガが遅れたのは確かにそうだと思うが、非情物→有情物へと拡張した理由付けは、非情物である程度定着したから、というだけでよいだろうか
- 昨年「通時的に見る格助詞と副助詞との承接」との題の発表もあり(未聴)、これもガの機能が一般化していく流れに位置付けられるものだろうと思う、読みたい
- 「欲しい」は逆にガ→ヲへ拡張する例(当たり前だけど)、好き・嫌いなども交替があり、そのあたりも一緒くたにガの一般化で片付けられるのだろうか