ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

小野寺典子(2017.3)語用論的調節・文法化・構文化の起きる周辺部:「こと」の発達を例に

小野寺典子(2017.3)「語用論的調節・文法化・構文化の起きる周辺部:「こと」の発達を例に」同編『発話のはじめと終わり:語用論的調節のなされる場所』ひつじ書房

「周辺部」に関して

  • 周辺部研究の重要性
    • ①「発話のはじめと終わり」(周辺部)が語用論的調節のなされる場所
    • ②「発話のはじめと終わり」(周辺部)が文法化・構文化・(間)主観化がよく起きる場所
  • 特に右の周辺部(RP:Right Periphery)は、SOV言語において語用論化が顕著に起こる位置
    • 日本語のRPには特に以下の2つが顕著
      • 言いさし
      • 名詞化節

「こと」の事例

  • 名詞「こと」:善き事をはじめ給ひて(万葉集
  • 形式名詞「こと」:花絶ゆることなく(万葉集
  • 感動詞的な終助詞「こと」:口をしく悲しき事(竹取)
  • 行為指示の終助詞的「こと」 :ミダリニヒトヲコロスベカラザルcoto(ロドリゲス大文典)

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再度「周辺部」に関して

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気になること

  • 周辺部に関して、
    • 周辺部研究は歴史語用論の文脈で盛り上がっているが、統語的な問題と語用論的な問題を切り分ける必要があるか?
      • 終助詞付与による対人的な態度の付加は、そういう領域の表現が(語用論的)、基本的には、階層的に右側に寄る(統語的)問題と捉えてよさそうだが、
      • 「右側で「句+形式名詞」という連続体ができるが、この語順が重要なのではないかと考える。」(p.106)ともあるように、右周辺部でこれが起こることそのものは、語用論的問題ではない(単に統語的に右に寄っちゃうってだけ)
      • 小柳(2018)第6章も参照
    • hellog~英語史ブログ:#2111. 語用論における「周辺部」 も参照
  • 個別事例に関して、
    • 「1→2→3→4の順の変化である」ことの根拠がなく、例えば、「1→2」「2→3」「2→4」でいいと思う
    • 「3→4」の変化は想定しがたい。「客観→主観→間主観」が先立って示されている感があるが、「非主観→主観」と「非間主観→間主観」として見るべきものと思う*1
      • 論理的にそういう方向性があること、そういう傾向が見られることと、実際にそうなのかというのは別なのと、複数の変化が絡み合っているものを一直線上のものとして見る必要はない
    • ただ、英語史の論文にときおり、OEDの用例並べて「この順番で発達したんすよ」みたいなものが見られて、手法というかものの考え方の違いなのか?という気はする*2

*1:そもそもの「主観」「主観化」の概念自体の問題については小柳(2018)

*2:もっとも日本語史でも日国引いて並べて出来上がりみたいなのがたまーにあって、でもそういうときには考え方の違いではなく「サボっとるんか?」と思ってしまうという、そこのところを含めて