辻本桜介(2018.5)中古語の複合辞ニソヘテについて
辻本桜介(2018.5)「中古語の複合辞ニソヘテについて」藤田保幸・山崎誠編『形式語研究の現在』和泉書院
要点
- 中古に「に加えて」「につれて」に相当する意を持つ「にそへて」という形式があり(2,3節)、これは複合辞として認定できる(4節)
- 主に複合辞として認められる理由と、その用法の分類について
用例分析
- 用法は添加用法と経時変化用法に二分される
- 悩みたまふにそへて[=加えて]、泣きたまふこと限りなし。
- 年にそへて[=年月が経つにつれて]あやしく老いゆくものにこそありけれ。
- 添加用法の場合、本動詞「添ふ」が「物品を物品に付け加える」のと対照的に、「(心情の動きなどの)事態に事態が添加される」と、やや抽象化されている
- 一方で、後続節は人間の関係する事態に限定されるところに本動詞的特徴を残す
- 「添ふ」自体も「心情を添える」ことができていたので、それを基盤として成立
- 経時変化用法は、一日以上の時間の経過に連動して、特に人の心情の変化が進行する関係性を示す
気になること
- 存疑例とされる 46,「かかる物思ひに添へて」、47「かかる御いそぎなどに添えて」 は経時用法の延長で捉えてもよさそうに見えて、こういうちょっとしたズレと、後代との連続性が気になる
- 「に伴い」「につれて」「につけて」「に従い」「と共に」など、物質的な接近が経時的な比例関係を派生するプロセスはどうなのか
- 現代語の共時的観点からの考察はあるが、史的経緯を追ったものは案外少ない
- 「につけて」に関しては同氏の辻本(2013)「複合辞ニツケテの接続助詞用法について:現代語と中古語を比較して」『日本語学論集』9 がある
- いちいち「と共に」なんてやっても仕方ない(きりがない)という考え方が根底にあると思うが、同論集の岡﨑「頃」論文のように、それほど特異でないものにも観察しがいがあるのかも
- 同論集の小田勝「古代語における形式用言を用いた複合辞とその用例」に、「月日にしたがひて」「につけて」「につれて」の例あり*1
- 現代語の共時的観点からの考察はあるが、史的経緯を追ったものは案外少ない
*1:このうち「につれて」は『古典文法総覧』から増補