ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

さよならホットナンバン

立川駅の南側、柴崎町にあるちゃんぽん専門店、ホットナンバンが8/11をもって閉店した。

 初訪問は高校3年生の夏、立川の駿台予備校に模試を受けに行ったときだった。当時は大手予備校によく分からない恐怖心を抱いていたし、模試を受けているのが周りにバレるのも嫌だったので、御茶ノ水には行かずに近所の立川を選んだのだと思う。都心から離れた模試会場には浪人生が多く、現役生は少ない。学生証発行の手続きで「有効期限は3年です」と渡され、「そんなに使えたら困っちゃいますね」と答えたときの気まずい雰囲気がセットで記憶されている。

 というわけで、昼食は1人。元々ちゃんぽんが好きなので、校舎のすぐ裏手にあった「東京ちゃんぽん」の看板に引き込まれるように入店。それまでの自分が知る、やや透き通ったスープに細いストレートの麺、といった長崎ちゃんぽんとは少し趣の異なる、濃いめクリーミーに野菜がドン、具としては厚揚げかまぼこが少々特異、太めの麺を食べ進めていくうちに、具からだんだん染み出す出汁が脳を直接刺激して、アウェー戦のストレスを和らげる、そんな初体験ちゃんぽんだった。そしてその日から今に至るまで、マイ・ベスト・オブ・ちゃんぽんの座に居座り続けている*1。ちなみに模試はE判定だった。

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 そんなホットナンバンの思い出をいくつか*2

 1階はカウンター席、2階はテーブル席。店内には音楽が流れておらず、中華鍋で野菜を炒める音と、カランコロンカランコロンと鳴るドアベルと、お母さんのややしゃがれた元気な挨拶がBGMだった。カウンターで鍋の音を聞きながら食べるちゃんぽんが至福だった。人を連れていくことが時折あったが、2人以上だと2階に通されてしまうので、1階で食べさせられないのが都度、少し残念だった。

 頑固そうなお父さん*3と小さなお母さんの2人で店を回していて、よく何か文句を言い合っていた。グルメサイトに厨房や店内の雰囲気が悪いと書かれていることがあったが、夫婦だしそんなもんだろう、と、(少なくとも自分にとっては)風物詩のような存在だった。むしろそれを楽しみにしている節もあったのに、ここ数年は喧嘩しているところもあまり見なくなった。
 ふと「最近は穏やかだな」と感じたときに、これはいつまでも食べられるものではないんだよな、と思ったことがあった。といっても2人の元気がなくなったというわけではなく「あと3」(今日はあと3食分しかないからそれ以上客を入れてはいけないの意)「はい、あと3」といったシステマティックなやり取りはあったので、さよならがこれほど突然に訪れるとは思っていなかった。

 水曜日、吉祥寺に住んでいた友人宅に泊まることがあり、翌昼は立川に寄ってホットナンバンへ、と思っていたら木曜日が定休だった、という体験が度々あった。かと行って開店日を狙っても、1時過ぎには材料切れで閉店ということも、よく分からない臨休ということも、ままあった。*4
 ともすれば、ホットナンバンに行った回数よりも仕方なくその近くの家系ラーメンで食べたことの方が多かったのではないか。この「なぜか食べられない」感がまた、たまたま巡り合わせが良いときの期待を膨らませた。ホットナンバンの「食べられなさ」を物語る証言をいくつか紹介しておく。

 大きなレンゲにスープをすくって、卓上に置かれた「自家製唐辛子」(要するにラー油)を少し垂らし、そこに麺を漬けて野菜を置いて、小さなちゃんぽんを作って食べるのが大好きだった。このラー油がまた美味しいのだけれど、最後は普通の味で締めたいから直では入れないというのが自分のルールだった。ルールはしばしば、辛み欲に負けて破られたし、むしろほとんど守られたことはなかった。

 めんたいちゃんぽんを初めて頼んだ日、隣のおじさんにはちゃんぽんと明太子が別皿で提供されていたのに、自分のはちゃんぽんの上に明太子が鎮座していた。「最後は普通の味で締めたい」ので「自分も別皿で欲しいんだけども」とお母さんに聞いてみると、それは普通のちゃんぽんに明太子をトッピングで注文しているのであって、めんたいちゃんぽんとは別なのよと嗜められた。
 めんたいちゃんぽんが870円なのに対し、普通のちゃんぽんは740円で、トッピングの明太子は140円。足し算すると10円違うのだが、実はめんたいちゃんぽんを含む「○○ちゃんぽん」にはうずらが入っていないのだと言う*6。隣のおじさんに常連のあり方を見たし、それからは大抵、同じ頼み方をするようになった(上写真参照)。
 そんなわけで、肉ちゃんぽんは肉汁が、コーンちゃんぽんはコーン汁が、それぞれベースの味を邪魔するのであまり好みではなかったのだが、逆に、肉を別皿で頼むと肉が冷めて硬くなってしまうというジレンマもあった。次こそはチーズを頼もう、と毎回思いはするのだが、食べる機会のないまま閉店してしまった。そういえば、皿うどんも結局頼んだことがなかった。

 「青春がまた一つ終わった」という、そんなありきたりな感傷もあるにはあるけれど、とにもかくにも他に類を見ないタイプのちゃんぽんなので、もし「この味が」と思ったときにどう行動したらよいのかが分からず、途方に暮れている。自分の舌がスープの味を忘れないうちに、キッチンで試行錯誤する必要があるのだろうか。

*1:次点は長崎飯店高田馬場駅前店、ここも小さなおばあちゃんが元気によぼよぼしているので、いつ食べられなくなるか分からない。渋谷店は大丈夫だろう。原宿の「つくも」も数年前に閉店してしまった。つくもは原宿に似つかわしくない入り難い外観で、ちゃんぽんにゆかりごはんがつく(残すと叱られるので最初から断らなければいけない)、カウンターだけ、なぜか焼酎のキープがある、変な店だった。長崎で食べたのは、四海楼も有名店なりの美味しさだったが、稲佐山の方にある共楽園が好みだった。

*2:前の記事で取り上げた論文と関連して、ホット「ナンバン」も語基的に用いられる外国地名である。トウモロコシの他、南蛮味噌(唐辛子)、鴨南蛮(ネギ)など。ちゃんぽんは南蛮から来た食べ物でもなければ、そもそも海外から来た食べ物でもないので、長崎の(南蛮貿易などの)イメージによる名付けだろうか。
大西拓一郎(2018.8)交易とことばの伝播:とうもろこしの不思議を探る - ronbun yomu

*3:なんと、写真があった(優しそうである)
昭島・福生・立川通信:立川 おいしいちゃんぽん ホットナンバン - livedoor Blog(ブログ)

*4:よく分からない閉店が多すぎるので、定休日をしばしば忘れてしまう。

*5:夕方にはやってないのよと教えてあげたい。

*6:その点、ノーマルのちゃんぽんは「うずらちゃんぽん」であるとも言える。