吉田永弘(2013.10)「「る・らる」における肯定可能の展開」『日本語の研究』9-4
要点
- 後発的な「る・らる」の肯定可能の用法に関して、
- なぜ中古では肯定可能を表せなかったのか
- 肯定可能を表せない場合どのような形式で表していたのか
- なぜ中世になって肯定可能を表すようになったのか
- 可能のあり方を未実現・既実現、実現の仕方はどうか、という観点から分けることで、既実現可能→未実現可能という展開を想定する
中古の肯定可能
- 『平安朝文法史』以降、「中古には否定可能にしか現れない」とされる
- 入りたまひて臥したまへれど、寝入られず。(源氏・花宴)のような打消に加え、
- 何ごとかは言はれむ(源氏・宿木)のような反語も否定可能に含まれる
- 一方、肯定可能と見られる例もある
- この際に立てたる屏風も端の方おしたたまれたるに,紛るべき几帳なども,暑ければにや,うち掛けていとよく見入れらる。(源氏・空蝉)
- 年月の積もりをも,紛れなく数へらるる心ならひに,(源氏・若菜)
- これら中古の肯定可能は、「既に実現したこと」に関する可能であるという点で共通する(→Ⅰ既実現の個別的事態)
- 恒常的に実現するものもある(→Ⅱ恒常的事態)
- 南ははるかに野のかた見やらる。(更級):いつでも見られる状態
- 中古の肯定可能には、「既実現可能」はあるが、「未実現可能」はない
- なお、「実現可能・潜在可能」の観点ではⅡが捉えられない
- 「る・らる」の既実現可能は、具体的な動きを伴う、意志的な動作を表さない(意図成就ではない)点で、以下の他形式と対照される
未実現可能の成立
- 意志的な動作を伴う例は中世前期に現れるが、これはまだ既実現可能の範囲に含まれる
- 観念上で成立する点で、既実現可能と性質の異なるものも発生→Ⅲ一般論
- 冬はいかなる所も住まる。(徒然)
- ただしこれも、(観念上で成立している点で既実現とは言いにくいが)既実現の範疇に入る
- 未実現の事態に用いた例がないこと
- 無標形も同様の意味を表すが、古代語の無標形が未実現事態を表すのは稀であること
- 一般条件を已然形で表していたこと
- 未実現の個別的事態を表す例は近世以降→Ⅳ未実現の個別的事態
- 某が坪の内に見事なくさびらが一本はへてござつたほどに,くわるゝくさびらかとぞんじて取てみたれば,(虎明本・くさびら)
要因
- 冒頭の「肯定可能」に関する問いは次のように改められる
- ① なぜ中世以前には〈未実現可能〉を表せなかったのか。
- ②〈未実現可能〉を表せない場合、どのような形式で表していたのか。
- ③なぜ近世になって〈未実現可能〉を表すようになったのか。
- 未実現事態を表す形式によって表されていた(→②)、「つ・ぬ」と共に用いた例が多いのは、未来における動作の実現を表す場合に未実現可能の意で解釈しやすいから
- 心あてに折らばや折らむ(古今集)
- 少シ力ダニ入テ候ヘバ必ズ殺シテム(今昔)
- 中古の無標形は現在を表すため、助動詞を下接しない「る・らる」も現在を表す(→①)
- これが中世後期になると未実現の事態に関して「む(う)」が衰退する
- 弟ノ七郎ガ見ン前ヘニテ,彼等ニ語セント思為ゾカシ。(斯道本平家)
- 弟の七郎が見る前で,彼等に語らせうずるためぢゃ。(天草平家)
- る・らるも単独で未実現可能を表せるようになった(③)