大久保一男(2016.2)「思さる」の「る」
大久保一男(2016.2)「「思さる」の「る」」『国語研究』79
要点
- 思さる(思す+る)の「る」を尊敬と解釈するものがあるが、少なくとも源氏においてはそうではないものと考える
- 上(桐壺)も、藤壺の見給はざらむを飽かず思さるれば、(紅葉賀)
- 物足りなくおぼしめすので、(新全集訳)
源氏の「思さる」
- 渡辺*1の指摘に基づき、一部紫上系、一部玉鬘系と二部に分けて考える
- 光源氏に対する「せ(させ)給ふ」「おはします」の初出箇所が、紫上系では大将になってから、玉鬘系では中将当時から
- 両部において、「る」を尊敬の意に解釈できない
- 使用者の面から、
- 「思す」との併用もあり
- (源氏ハ)御仏名も、今年ばかりにこそはと思せばにや、常よりも殊に錫杖の声々などあはれに思さる。(幻)
- ただし、「思し召す」と「思す」の近接併用もあるので、併用をもって「る」が敬意を示さないとは言えない
- 以上より、「すなわち、「思さる」の「る」が尊敬の意を表して「思す」の敬意度を増強する働きをしている」
- 「思し召さる」に関しても、「思し召す」が帝などの専用形式なので、「る」が敬意を増すものとはみなせない
「思さる」の「る」
- 自発で解釈されるものがほとんど
- あながちにかけとどめまほしき(ご自身ノ)御命とも思されぬを(御法)
- 可能の意のものもある(cf.吉田2013)
- いみじく心細く悲しと見奉り給ふに、異ごと思されねば[=考えたくても考えられない]、(予定シテイタ朱雀院ノ)御賀の響きもしづまりぬ。(若菜下)
- 受身の例と思しきものは発話・心内文に限られるが、これも自発と見たほうがよいか