ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

諸星美智直(1992.4)近世武家社会におけるナ変動詞の五段化について

諸星美智直(1992.4)「近世武家社会におけるナ変動詞の五段化について」『国学院雑誌』93-04、(2004)『近世武家言葉の研究』清文堂 所収

ナ変・五段シリーズ、これにて一旦終了

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要点

  • 武士道と云ハ死ヌ事と見付たり(葉隠集)
  • 近世武家言葉の古態性の観点から検証しつつ、当時既にナ変が五段化していたことを示す

武家言葉資料の例

  • 葉隠集の五段活用例
    • いつれ死ぬ命なれは是ニて…
    • 人はいつれ一度ハ死ぬものニて…
  • ナ変の例もあるが、候文体に馴染む文語形として使用されたものか
    • 死ハ損生ハ徳なれハ死ぬることもすかぬ故すくたる
  • よしの冊子*1にも同様に「死ぬ事」「あす死ぬ病人」の例
  • 人情本では既にナ変五段化が完了したと見てよい
  • 夢酔独言でも同様だが、勝海舟の発言のみ「今度は死ぬるぞ」「死ぬる程の思ひを」など、ナ変に偏る
    • 海舟の西国への遊学の影響によるものか
  • 地方藩士に関して、坂本竜馬武市瑞山にはナ変が多く、これは当時の高知一般の言い方と一致
    • 連体ノ場合ハ「死ヌル人」「往ヌル時」ノ如ク唱ヘ已然ハ四段活用二用フルコトナシ(口語法調査報告書)
  • 吉田松陰もナ変を多用。長州は現在でもナ変の地域に属する
  • 一方、既に五段化していた地域では、例えば河井継之助(長岡藩)は五段に用いる

まとめ

  • 近世後期の江戸の直参武士の間では、ナ変「死ぬ」は五段化していた
  • 武家の語法には古態性が指摘されるが、「死ぬ」の活用にはその傾向はあまり認められない

補足

  • 当論文(1992)→山内論文(2001)→所収書籍(2004)の順で、本書では注として山内説に触れ、「筆者は本章で従来の研究と同様に「五段化」の術語を用いたが、山内氏の説を考慮に入れれば、五段化と捉えずに現段階においてはナ変活用とナ行五段活用の実態報告に止めることに吝かではない」(p.246)とする

気になること

  • 「上方でナ変が五段化する」VS「東国にもともとあった五段が浮上してくる」の二項対立で捉えなくても、上方のナ変の五段化を、東国にもともとあった五段が基盤となって推進したと見てもよいのではないか
    • 坂口(2001)の調査結果から「東の言い方が西に流入した」感がしない
    • 例えば命令形語尾のヨ→ロは音変化ではなく「東の言い方が浮上」でしか説明できない事象だが、ナ変の五段化は「少し無理のある変化」(山内の「終止形・連体形合一の例外現象」)というだけ
    • 五段への合流という例外的だけど体系としては合理的、という相反する動きを、もともと地方方言として存した四段のおかげで無理なく進めることができた、と考える
    • 単純な「変化」ではないし、かといってロ→ヨのような「浮上」でもないのでは、ということ

*1:松平定信の側近水野為長[~1824]によるもの