ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

青木博史(2011.6)日本語における文法化と主観化

青木博史(2011.6)「日本語における文法化と主観化」澤田治美編『ひつじ意味論講座5 主観性と主体性』ひつじ書房

要点

  • いわゆる「主観化」に関する批判的検討
    • これが一方向的な変化かどうか
    • 文法化」と関連付けられるものかどうか

「~キル」

  • 語彙的複合動詞から統語的複合動詞へ
    • 中古の~キルは、単純な切断を表すものが多いが、キル対象が物体から空間、さらに時間(区切りをつける)へと抽象化する
      • 切断:綾錦を裁ち切りて(うつほ)
      • 空間:ひまもあらせず立てきりて(紫式部
      • 時間:一の宮のことも聞こえきりてあるを(和泉式部
      • この段階では語彙的複合動詞
    • 中世以降に、「変化動詞は極度、動作動詞は完遂」という分布を形成し、概ねほとんどの動詞と結びつく統語的複合動詞に
      • 極度:シヅマリキツタ者ゾ(蒙求抄)
      • 完遂:ながの在京なれは、つかひきつて、(虎明本)
  • この語彙的→統語的の変化は主観化の方向に沿うものではないが、一部方言で可能の意味が発生することがある
    • コン ガケカイナ トンキラン(この崖からは飛びきれない、九州南部)
    • 「十分でない」ことと話し手の心情が結びつくことで、可能の意味へと繋がる。これは、アスペクト的な意味から、話し手寄りの把握が行われるという点で、主観化に一致する
    • ただし、統語的になった後の変化なので、いわゆる「文法化」と「主観化」は結び付けられる変化ではない

「ゲナ」

  • 助動詞「ゲナ」の成立について
  • 形容詞語幹・動詞連用形ゲナリ→名詞句[終止連体形]ゲナ(活用あり)→文[終止連体形]ゲナの過程を経て、不変化助動詞化(青木2007)*1
    • 顔こそなをいとにくげなりしか、となむかたりしとか(大和)
    • 水ガ流ルヽゲデ聲ガスルゾ(四河入海)
    • 大衆ハタシカニ如此シテアルゲナゾ(碧巌雷沢抄)
    • この変化は、様態に関する「様子だ」判断から、事態に対する推量へと変化しているので、主観化と言ってよい(ようだ、そうだ、はずだ、の成立も同様)
  • 推量から伝聞へ
    • きけば夏かやをもつらせひでねさするげなが、(虎明本)
    • 「何らかの証拠に基づいた推量」からその情報を伝えることにシフトするので、むしろ主観化とは逆の方向を辿る
  • とりたて「なんか」相当のゲナ
    • 「○○さんが私に仕事しろ」ゲナ言うとよ(福津市
    • これも、主観化を「命題的意味から対人的意味への変化」*2と捉えるなら、それとは逆の変化

*1:青木博史(2007) 「近代語における述部の構造変化と文法化」青木博史編『日本語の構造変化と文法化ひつじ書房

*2:Traugott 1995に基づけば主観化だが、これは2002以降は intersubjectification として捉え直されているもの。文末ゲナ自体は対人的意味を持たないし、単に speaker-oriented でなくなることを主観化の逆と見るとよいと思う。