小柳智一(2014.10)「「じもの」考:比喩・注釈」『萬葉集研究』35(塙書房)
要点
- 次のような「じもの」について
- 鳥じもの海に浮きゐて沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも(万1184)
- 吾妹子が形見に置ける緑児の乞ひ泣くごとに取り委す物しなければ男じもの腋挟み持ち(万213)
- 以下の問題がある
- 前者は「鳥のように」でよいが、後者は「男のように」ではおかしい
- 「じ」+「もの」であろうが、「じ」が何か分からない
- 名詞句「~もの」に連用修飾句的解釈が可能な理由も不明
「じもの」の意味
- 名詞接続例の多くは比喩的に解釈できる
- 鴨じもの水に浮き居て/雪じもの往き通ひつつ
- 「じもの」に特別な比喩のあり方を見出そうとする研究があるが、賛同し難い
- 比喩そのものの性質からして、完全に予想可能な比喩は存在しないため
- 同一歌に「鹿じもの」「鶉なす」「春鳥の」「天のごと」といった比喩が共存し、そこに差異が見られないため
- 「なす」「ごと」は「~衣につくなす」のように動詞句につくが、「じもの」はできず、生産性が低い。上代で既に古い表現だったと見られ、「じもの」「なす」「のごと」の差は意味差ではなく、新旧の差として理解される
- 比喩で解釈できない「男じもの」の例
- 同長歌で「鳥じもの」「男じもの」が使われることもあり(万213)、もともとの用法の一つであったと考えたい
- 次の並行性から、「じもの」は「ある事物X(「妹」「我」)の様子を表すのに、別の事物Y(「鳥」「男」)を引き合いに出して評する表現」
- (鳥でない)妹ガ鳥じもの朝立ちい行く
- (男である)我ガ男じもの緑児を腋挟み持つ
- これは、名詞述語文のあり方と並行する
- 我が心浦渚の鳥ぞ:現実世界で合理的でないので比喩で解釈する必要がある
- 我こそは世の長人:現実世界で合理的なので解釈不要
- 「引き合いに出す表現」が比喩を表す用法に偏っただけで、「男じもの」は語彙的に残存したもの
「じもの」の語構成
- 否定の形容詞性接辞「ジ」を認めると「男じもの」が説明できないので、形容詞性接辞「ジ」を認める
- ジ語尾形容詞は、「我じ」「家じ」「時じ」と「おなじ」「おやじ」のみ
- 我じ:わがことのように
- 家じ:この家のように
- 時じ:「まさにその時」の意で、「男じもの」の意に通じる
- 「おなじ」は己の母音交替形と推定され、「おやじ」はナ・ヤ行の交替例か、もしくは語幹「おや」+「じ」。どちらの説を採っても「じもの」と連続するものとして捉えられる
- よってこれら「ジ」と「じもの」が関連すると見るが、「じ」→「じもの」という見方では、一般の形容詞語幹が連体修飾句を承けないのにジ語尾に「此の家じ」のような名詞句を承けるものがあることが説明できない
- 逆に、この「ジ」の特異性が「じもの」から生じたものと見る
- 「の」「が」「つ」「な」「だ」といった連体助詞と解されるものを「このような環境(複合名詞の項の間)にあった接辞が助詞へ発達した」と見たとき、それと並行する「厳矛/厳し矛」「賢し女」のように、挿入される「し」が連濁を起こしたものが「じもの」である
- 「恐じもの」の例は、形容詞語幹からも「じもの」が形成されたことを示す例か
「じもの」の構文
- 以下の特徴より、「じもの」は本来挿入句であったと考えられる
- 構文的特徴:描写される事物Xは主語・目的語・名詞句なので、特定の文成分には偏らず、「じもの」がなくても主節は成立するので、遊離的
- 形態的特徴:「もの」でまとめられる名詞句なので他の文成分との関係を示さず、独立している
- 意味的特徴:主節の表す事態と「じもの」の評が、注釈対象と注釈という意味関係にある
- 挿入句というと一般的には節・文の挿入が想起されるが、名詞句でも可能であったと考えられる
- ク語法が「~ことに」相当の副詞句として働く例がある
- じもの、ク語法、係り結びともに、本来注釈の挿入句だったものが、主節に併合されて連用修飾句になるもの