ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

金田一春彦(1953)不変化助動詞の本質:主観的表現と客観的表現の別について

  • このあたりを読む
    • 金田一春彦(1953)「不変化助動詞の本質:主観的表現と客観的表現の別について」『国語国文』22-2, 3
    • 金田一春彦(1953)「不変化助動詞の本質、再論:時枝博士・水谷氏両家に答えて」『国語国文』22-9
    • 尾上圭介(2012.3)「不変化助動詞とは何か:叙法論と主観表現要素論の分岐点」『国語と国文学』89-3
    • 大木一夫(2012.9)「不変化助動詞の本質、続貂」『国語国文』81-9

金田一(1953)

  • 「(よ)う」「まい」は終止形(終止用法)と連体形(連体用法)とで異なる意味を持つ
    • 終止:意志・推量
    • 連体:仮想「行こうが行くまいが」「あろう人が」、可能性「あろうはずがない」、スルコトガ許サレテイルの意「あろうことかあるまいことか」
  • よって、意志・推量を表す場合は終止形しか持たない別の助動詞として扱う
  • 不変化助動詞の意味的性質に「話者の主観的表現を表す」ことを設定することで、時枝詞辞説を批判
    • 例えば、「う」と「つもり」が主観・客観で対比される
  • 「う」「よう」「まい」「だろう」といった不変化助動詞のみが主観的な意味を表すこと、主観的に用いられる語は文の末尾以外に立たないことを指摘
    • タの一部:想起「今日は僕の誕生日だった」、命令「ちょっと待った」
    • ダの一部:注意をうながす「そこでだ」
    • ナイの一部:勧誘「もう寝ない?」

尾上(2012)

  • 現代のモダリティ論は非現実形式としてのモダリティ(A説)と話者の主観表現としてのモダリティ(B説)に分かれ、金田一の不変化助動詞への注目はB説に結びつくが、果たしてそれは必然的か
  • 不変化助動詞の特殊性が客観的VS主観的という文末辞論ではなく、現実叙法VS非現実叙法の問題として展開されるべきものであることを論じる

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大木(2012)

  • 金田一の論証方法に従って分析を進めると、実は金田一の結論とは異なる帰結(文末に現れる形式も客観的である)が導き出される
  • 併せて、金田一の指摘の現代的意味についても述べる

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