山本真吾(2017.9)「訓点特有語と漢字仮名交じり文:延慶本平家物語の仮名書き訓点特有語をめぐる」『訓点語と訓点資料』139
要点
- 『つきての研究』以降における「漢文訓読語」の批判的総括
漢文訓読語、訓点語、訓点特有語
- 築島裕『平安時代の漢文訓読語につきての研究』は、源氏と慈恩伝古点の対照によって、訓読文にしか見られない語を「漢文訓読語」と呼称したが、一方で、「漢文訓読語」が用いられることをもって「漢文訓読的」などという文体的性格付けが行われ、内実が不透明になってしまった
- 訓点資料に見える語が、そのまま「漢文訓読語」であるわけではない。例えば、仮名文学に継承されなかった上代語彙が用いられるケース
- 漢籍訓読によれるが為に、古代の語遺の現今にも伝はれるもの。その例 ごとし いはゆる しむ いはく おもへらく あるいは 等なり(山田孝雄・漢文の訓読によりて伝へられたる語法)
- ここで、いわゆる、漢文の訓読によって生じた「漢文訓読語」のことを、「訓点特有語」と呼ぶことにする
- 訓点特有語が院政期以降の和漢混淆文に見られる際、それを漢文訓読体の要素の受容とみなして和漢混淆の度合いの指標とすることがあるが、そもそもの読みのあり方が異なるので、和漢混淆文において訓読文での意味用法と異なる場合も出てくる。その解釈としては、
- よくある解釈:平安時代から院政鎌倉時代にかけて意味用法が変化した
- これまで顧みられなかった解釈:漢文訓読とは異なる位相にあった
訓点特有語の諸相
- すみやか(山本1988*1)
- 「すみやか:とく・はやく」の文体対立あり
- 「すみやか」は(「甚だ:いと」と異なり)今昔後半にも十分に出現する
- 今昔の「すみやか」は出典文献に見られない撰者の独自箇所
- 訓点資料とは異なる用法を持つ
- 平安時代語はもっぱら形容動詞語幹、訓点資料ではスミヤカナリ、だが、今昔では連用修飾の「スミヤカニ」で機能
- 会話文中に集中して出現、しかも、命令表現に集中
- すなわち「すみやか」は、連用修飾用法、会話文、命令表現が、訓読から離れた通常の日本語表現であって、これが漢文訓読の場では、訓読のすり合わせによって多様な用法が生じた
- きらふ(山本2013*2)
- 上代・平安初期の「きらふ」は「知的判断を伴って切り捨てる、排除する」の意
- 「嫌」字は感情的な「そねむ」の訓が宛てられていたが、やがて「きらふ」の意が拡張し、平安後期以降の訓点資料には「嫌う」が見られるようになる
- 積極的排除を伴う「きらふ」が仮名文学作品に受け入れ難かった一方で、訓読世界の漢字にも結びつきにくかった
- あきだる(山本2014*3)
- 延慶本平家の「あきだる」
- 上代にも例が見え、これは全て否定的文脈で用いられる
- 王朝仮名文学には例がなく、訓点特有語と認められるものの、漢籍訓点資料にしか見えない
- 漢籍訓点資料に声点附和訓として注される例があり、これは「平安初期における師説と、同期の他の漢籍の訓説とが、後世に固定的に伝承されたものを、典拠あり証拠ある訓として、明示したもの」
- であるので、漢籍訓点資料の例は古語的性格を有するもの。よって、延慶本の「あきだる」は、訓読の影響というよりは上代文献からの影響を想定すべき
- おぎろ(山本2004*4)
- 「ずば抜けて勇猛であるさま」を示す「おぎろ」が太平記に見られる
- 王朝仮名文学にはなく、訓点資料・鎌倉時代の表白類には見られる
- 仏教儀礼の場で生き残った語が、成立圏を共有する太平記に「掬い上げられた」もの
- ささふ(山本2015*5)
- 覚一本平家に「ささへまうす」の例があり、旧大系では「支持する」、新大系では「反対する」と、正反対の注が付されている
- 「ささふ」は平安訓読資料に例あり、王朝仮名文学にはない
- 原義は「支える」の意だったが、「さふ」(障)の干渉によって「妨げる」意が加わる
- 平安時代の訓点特有語が、院政期に文書用語・歌論用語としての用法を獲得した事例
- 以上より、従来「漢文訓読語」と一括されてきた語群は、それぞれ意味用法や位相を異にする可能性がある
- をしふ(山本1993*6)
- 今昔の「をしふ」は「相手ヲをしふ」(教化する)という構文で、これは訓点資料に見られるもの
- 仮名文学では「人ニ物ヲをしふ」の構文をとる
- 語レベルでは王朝仮名文学にも訓点資料にも見られるが、用法レベルでは異なる、という事例
延慶本平家の訓点特有語
- ただし、「きらふ」「あきだる」などがかな書きを原則としていることを見ると、「文章語」とすることには抵抗がある
- 漢字と訓の結びつきが弱いので、これは漢文訓読の原理に基づくものではないのではないか
- 漢字仮名交じり文における訓点特有語を抽出する
- 延慶本においてカタカナ書きが原則であり、訓点語彙集成に見られ、王朝仮名文学作品に見られない語
- あがく、あきだる、あきなふ、あます、あやしむ、あやす、うつぶく、かいはさむ、かぶろ、さがさがし、ささやく、しむ(締)、すがる、すき(隙)、すくふ(掬)、そだつ(育)、そる(逸)、そろふ、たしなむ、つくづく、なじむ、のけざま、はぐ、ばく(化)、はげむ、はだし、はたらく、ひきし(低)、ひらめく、ひるむ、ふすぼる、やうやうに
- 漢籍訓読専用語と一致する語が見られる(あきなふ、かいはさむ、かぶろ)
- 「そろふ」に関して、
- 延慶本では全て仮名書き、「兵士などの人数を充足させる」の意で、会話・地の文どちらでも用いられる
- 訓点資料では、人を対象としない「物を充足させる」意、「切って整える」の意
- 延慶本以外の鎌倉時代文献ではやはり仮名書き
- 鎌倉時代では平俗的な男性語で、そのために王朝仮名文学に見いだせなかったものか
まとめ
- 訓点特有語は必ずしも漢文訓読によるものではなく、別の位相にあるものを漢文訓読の際に用いた場合もある
- 漢文訓読語、文章語、日常会話語、男性語は同一位相で語るべきものではない
- 同時代の王朝仮名文学作品、後の漢字かな交じり文での、意味の異なり、構文、場面、作者、表記などを含めて考察する必要あり
- 訓点特有語が仮名書きされるのは、漢字との結びつきが強くなかったためと考えると、これは訓読とは別の位相の語である可能性があり、ここに、「別の位相」の解決の糸口がある