山口堯二(1998.10)「対比的な複文の前句における「あり」の朧化用法」『京都語文』3 (山口堯二(2000.9)『構文史論考』和泉書院 所収)
要点
- 複文において、実質的な意味が希薄化したアリが用いられる
- 雁なきて菊の花さく秋はあれど春の海辺にすみよしの浜(伊勢)
- こそあれ・しもあれなど、「複文構造に依存する」アリの構文を総合的な立場から見る
問題
- 「いづら、はや寝給へるか」と言ひ笑ひて、人わろげなるまでもあれど、岩木のごとして明かしつれば、つとめて物もいはで帰りぬ。(蜻蛉)
- これは「言ひ笑ひてあれど」の意で理解でき、先行文脈に依存するもの
- 雁なきて菊の花さく秋はあれど春の海辺にすみよしの浜(伊勢)
- この例には「おもしろくはあれど」という注が付されるが、先行文脈依存のものとしては理解できない。これは、後句の事態を対比的に強調するために、あえて「あり」の意味をぼかしていると考えられる
- すなわち、意味の理解が文脈依存であっても、重複を避けたことによる場合と、意図的に朧化する場合がある
形式類型
- 形式の類型に以下の5種
- このうち「さへあるに」だけがかろうじて近代まで残る程度で、朧化用法は古代語を中心に認められる現象と見る
- 係助詞による「は・しも・こそあれ」は係り結びの衰退と連関する
- 後身として、「知らず」「いざ知らず」「ともあれ」「ともかく」など、対比的な構造の前句で「濁す」表現法は残る