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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

栗田岳(2011.1)しづ心なく花のちるらむ:ム系助動詞と「設想」

栗田岳(2011.1)「しづ心なく花のちるらむ:ム系助動詞と「設想」」『日本語の研究』7-1

要点

  • ム系助動詞に「設想」の意味を規定し
    • 久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ(古今
  • 以下の2類に区分する
    • Ⅰ 言語主体の推量・意志の作用とは関わりなく構成される未来事態を表すもの。
    • Ⅱ 言語主体にとって、本来在るはずの姿とは齟齬する既実現の事態を表すもの。

問題

  • 終止の位置に立つム形助動詞に、推量の意を見出しがたいものがある
    • 久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ(古今)
    • 詞書に「さくらの花のちるをよめる」とあるので、言語主体に直接確認されたもの
    • 一方でラムがあるのでそれを訳出する必要があり、不在の疑問語が「どうして散るのだろうか」の如く読み込まれる
  • このような連体形終止の「ラム留」の他、「ム+ヨ」の文もある
    • 鸚鵡いと哀れなり。人のいふらん事をまねぶらんよ(枕)

未来事態を表すもの

  • たびたび詣でさせしを、かひなきにこそあめれ、命さへ心にかなはず、たぐひなきいみじき目を見るは、といと心憂き中にも、知らぬ人に具して、さる道の歩きをしたらんよ。とそら恐ろしくおぼゆ。(源氏・手習)
    • 「馴染みのない尼達と、道中を共にする」という事態は必然的なもので、何らかの推論によるものではない。すなわち、推量や意志(・命令)を意味しない。
  • 「推量・意志の作用抜きで、単に未来事態を言語化している」とみられるものに、「設想」概念を導入する
    • 山田孝雄に拠るが、モダリティ形式のほとんどが事態の想像に関するものなので、アレンジが必要
  • ム系が「事態の存否を問う疑問文」を作る点に注意する。現実世界の存否と関係ない事態は、その存否を問うこと自体に意味がないので、その点「設想」は単に「非現実」とすることはできない
    • 君が心に秋や来ぬらむ(古今)
  • よって、設想を「事態が現実世界に存在することを思い描く作用」とする
    • ラシ・ベシ・マシは設想に該当しない
  • 上例は、未来事態の構成に設想が用いられたと考える
    • 連体用法に推量・意志を表さないものがあることはよく知られているが、終止の位置でも現れうることが示された

既実現事態を表すもの

  • 既実現だが、言語主体にとっては実現していないことの方が自然な事態である
    • 上例、花のちるらむ
      • 既に確認を済ませたことで、推量の対象にはならないが、「散らずにあってほしい」もの
    • 上例、まねぶらんよ
      • 一回的なものではないが、この世のどこかで生じているもので、推量とは関係なく構成されうるが、「鳥なのに人の声を真似ている」ことが特異
    • 乳母なるべし、さやうのおとなおとなしき声にて、「(前略)親におはする殿に知られたてまつりたまへ、(後略)」などいふ。逢期あるにやあらむ。あはれなることなりや。親子と見ず知らざらむよ。誰ならむ、と聞きたまふほどに、(うつほ楼上上)
      • 見ず知らずの人間のことをただ聞くままに受容するだけで、推量される状況にはないが、「子が親を知らない」のは本来のあり方ではない
  • 関連する特性として、
    • 文種別は心内文が多く、それ以外の場合も、対者の特定性が希薄
    • 逆接句の読みが可能なものが多い
    • 主語の人称は三人称のものが多い*1
  • まとめ、ム系は設想という観点で記述でき、以下の二類に分類できる
    • Ⅰ 推量・意志の作用とは関係なく構成される未来事態を表す。来来事態とは、言語主体に思い描かれることによって存在するものである。かかる「事態が現実世界に存在することを思い描く」という作用に対応して、「設想」形式たるム(未来時) が現れる。
    • Ⅱ 既実現であるが、本来そう在るはずの姿とは齟齬する事態を表す。齟齬するがゆえに、言語主体は、その事態の存在を、すんなりとは受け容れられず、改めてそれを思い描く。かかる「事態が現実世界に存在することを思い描く」という作用に対応して、「設想」形式たるム(不定時)・ラム・ケムが現れる。

*1:であれば、そもそも三人称主語のときに当事者の意志・推量は現れ得ないのだから、「終止法のムが意志・推量を持つが、そうじゃない例もあるよ」という立論の仕方はミスリードっぽくないか?という感じはする([三人称が推量する意で]彼が行こう/[三人称の意志の意で]彼が行こう)