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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

青木博史(2018.10)「ござる」の丁寧語化をめぐって

青木博史(2018.10)「「ござる」の丁寧語化をめぐって」青木博史・小柳智一・吉田永弘編『日本語文法史研究 4』ひつじ書房

要点

  • ござるの丁寧語化について、以下の点を示す
    • 尊敬から謙譲を表す段階を経て、特に補助動詞「てござる」類において丁寧語化したこと
    • 接頭辞「御」がその変化を可能としたこと
    • 謙譲語的性質を残す前近代的な「丁寧語」のあり方が中世末期、こうした尊敬語→丁寧語という変化

問題

  • ござるの尊敬語→丁寧語の変化
    • 御親父様のどれへやらござつた、よふで参れ(虎明本)
    • 罷出たる者は此あたりに住居いたす者で御ざる。(虎明本)
  • 同時期に尊敬・丁寧の両方の用法が見られることは特異
    • 立てるべき尊者を主語に取る段階→自分の動作として述べる段階 にはかなり飛躍あり
  • 謙譲語から丁寧語の変化は説明がしやすく、汎時代的に見られる
    • まゐらす→ます、です、現代のさせていただく
    • 一人称主語の動作における配慮すべき相手が尊者から聞き手へとシフトするもの
    • 尊敬語→丁寧語の変化はこの時期のみ、これも特異

金水(2006など)*1

  • ござるの丁寧化について
    • 原拠本平家と天草版平家の対照に基づき、ござるが尊敬か丁寧かを判断できる
    • 文法的観点と敬語的意味によって分類することで意味変化の経路が推測される
    • 語源の「貴人の着座」に近い用法で尊敬用法が保存されやすく、有生物主語の空間的存在の用例は大部分が尊敬表現。補助動詞でも空間的存在に近い存在様態を表す~てござるは尊敬の解釈になりやすい
    • 有生物主語の限量的存在文において丁寧語への派生が起こったか
      • 我こそお行方を存じたれと申す女房は一人もござなかった(天草版)
      • →我コソ御行末知リマイラセタリト云女房一人モヲワセズ(斯道本)なので、尊敬と解釈される
      • 清盛家督を受取られてより、右に申したごとく、威勢、位も肩を並ぶる人もござなかった(天草版)
      • →花族も栄耀も面をむかへ肩をならぶる人なし(高野本)なので、丁寧と解釈される
    • 丁寧は尊敬と異なり主語に対する選択制限がないので、文法化が進むほど丁寧表現は増える。これは使用依拠モデルからも支持される
    • 中央語における空間的存在文のある→いるの移行も、ござるの尊敬表現を衰えさせた要因である
  • 上記用例において、金水は「必ずしも尊敬表現を要しない限量的存在文にござるが使われた場合に、読み手がその意味を読み誤った」ことを想定するが、それは正しい分析か
  • また、本動詞の意味が保たれた領域で変化が起こったと考えることにも無理がある
    • 補助動詞で起こった変化が本動詞へと及んだと見るほうが妥当ではないか

ござるの使用実態

  • ロドリゲス大文典には、
    • 「何々であるといふ意味」や「てござる」では謙遜、「ある、行く、来るの意に用ゐたもの」は尊敬であることが記述される
    • 補助動詞用法の方が圧倒的に多い
  • 虎明本でも補助動詞が多用されている
  • 抄物はもっぱら尊敬語で、古い状況を反映している。丁寧語の例は僅かだが、これもやはり補助動詞から発生することが注目される

ござるの丁寧語化

  • 契機として、「御+座+ある」の接頭辞「御」が運用の変化を可能にしたのではないか
  • 御がソトにもウチにも用いられる事例
    • 食べになる / 持ちする
    • 言(ミコト)、髪(ミクシ) / 粥、なま(なます)
  • ロドリゲス大文典にも、貴人の所有物に使う場合と、一人称に属し、かつ贈与による相手が貴人である場合に用いられると記述される
  • ござるに関しても、「尊敬すべきソトの人物の動作について用いていた「ござる」を、向かう先の相手を立てる形で、ソトの人物以外に対しても用いるようになった」ものと捉えられる
    • 答テ申スヤウハ、臣ガコトハ泉石膏盲煙霞痼疾ニテ御座アルト云ゾ。(中華若木詩抄)
      • 帝の問いに、自分の状況を「にてござある」と説明する
      • これは丁寧語と見てもよいが、聞き手への配慮を示すものであるから、謙譲語としても読める
  • 補助動詞として用いられる場合に、尊敬語から(直接丁寧語になるのではなく、)謙譲語への読み替えが起こるという段階を想定すべき
    • そもそも中世の丁寧語は「尊敬すべき相手に対して使う」という謙譲語的性格を持っていた
  • 対者敬語的な候は中世期に存するが、ござる:候が新旧の語形として対応したのではないか
    • さても昨日のふるまひこそ、優にしか。是はのり一の馬で候(平家)
    • 何事もなふじやうじゆ仕て、われらまでうれしう御ざる(虎明本)
    • このようにして中世的な丁寧語の用法を手に入れたござるが候の代わりに用いられた
  • 侍り・候・ござるは謙譲語的性格を捨てきれなかった点において前近代的で、そういったシステムであったからこそ、中世末期に尊敬語→丁寧語の変化が起こり得た
  • 文法化では本動詞→補助動詞の方向性が指摘されるが、補助動詞→本動詞という流れも想定されてよい

雑記

*1:金水敏(2006)『日本語存在表現の歴史』ひつじ書房