小島和(2017.3)キリシタン資料における「ものなり」表現について:「教義文体」との関わり
小島和(2017.3)「キリシタン資料における「ものなり」表現について:「教義文体」との関わり」『日本近代語研究 6』ひつじ書房
要点
問題
- サントスの御作業、どちりなきりしたんなどの文語体キリシタン資料にはモノナリが多用される
- すなはちこれをサンマチヤスをもって補任せらるるものなり。(サントス)
- 正法眼蔵や蓮如の教義書類においてもモノナリが多く使用され、これがキリシタン資料に通ずると考えられている
- 所詮、自今已後ハ、カタク會合ノ座中ニオイテ信心ノ沙汰ヲスベキモノナリ(蓮如御文)
- 関してみると中のラテン語引用文と日本語訳を比較することで、モノナリがどのように作り出されるかを調査
キリシタン資料のモノナリ
- 結論として、ラテン語文を連体ナリで翻訳した例はあるが、積極的にモノナリで訳したものはない
- 原典からの翻訳後、坊主(Bonzos)の用いる文体へと整えた結果、モノナリが生じたものと考える
- ロドリゲス大文典の、日本の宗門の書物「内典」について、
- 往々Mono nariを添えること
- Nari と Mono nari に大差がないこと
- 訳の際に内典の文体に頼っていることが述べられる
- 教義文体でなく準体表現回避のための代替手段であるという可能性を提示する研究があるが、ラテン語文引用の際にモノナリが行われないので受け入れ難い
- バレト写本聖人伝とサントスの差異を確認すると、モノナリと連体ナリが交替可能であることが分かる
- バレトのモノナリがサントスで連体ナリになる例
- サントスのモノナリがバレトで連体ナリになる例
- 欧文原典→翻訳文による表現の生成を見るために、ラテン語文の引用箇所に注目する
- Qui se existimae stare uideat, ne cadat. / この心は立ちたると思ふものは倒れをるやうに用心せよと宣ふなり.
- モノナリを使う訳文は少ない(表)
- しかもモノナリではなく「者・物ナリ」として判断され(得)るものばかり
- 結論再掲、原典からの翻訳後、坊主(Bonzos)の用いる文体へと整えた結果、モノナリが生じたものと考える
雑記
- 日本語学大辞典を電子書籍で売ってほしい。索引飛んだり検索したりしたい。