新野直哉(2012.3)昭和10年代の国語学・国語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識 :副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて
新野直哉(2012.3)「昭和10年代の国語学・国語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識:副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて」『言語文化研究(静岡県立大学短期大学)』11
要点
- タイトルまんま、専門誌の論文における言語意識の記述について
前提
- コトバ・工程(→綴方学校)→日本語・国語解釈・言語問題・実践国語教育を対象
- 「個別的・具体的な言語形式に関する、規範やルールを問題にする意識」を「言語規範意識」として、調査する
- 戦前にも「正しい日本語」問題として、乱れか変化かを考える議論があった
- これは感心できないと直感的に感ずる、それが言語感情である(綴方学校3-3[1939])
- 「かう書くが正しい」とはなかなか言ひ得ない。「かう書くのが標準的である」とでも言つた方がよいと思ふ。(国語解釈2-9[1937])
個別事例
とても+肯定
- とてもの新用法の研究ではしばしば新村出や佐久間鼎の論考が引かれるが、それ以外にも、次のような文献がある
- 本来はチットモ、トテモは、直下の詞の副詞ではない。此の副詞の係る詞は、省略せられてあるのである。(弥富破摩雄・国語解釈1-5[1936])
- 特に当時の言語意識に関する観察として、
- 現在「頗ル」「甚ダシク」の意に用ゐてゐる「とても」には、尚甚だしく嫌厭の情を持ち続けてゐる人があるのであるが、然らば、かかる意味の流行を来したのは一体何時頃であらうかとなると、やはり大正末期頃となってくるのである。(浅野信「流行語彙考」・コトバⅠ7-9[1937])
- 国語教育の専門誌では子どもの作文に「とつても喜んだ」のようにあっても直すべきとはしておらず、教師側の文にも強調のとてもの例がある
- その他の文献とも併せて考えると、強調のとてもは大正期によく使われるようになり、対象末期に多くの有識者が注目し、誤用視もされつつ、昭和10年代前半には国語教育の場でほぼ容認されており、後半には共通語に定着していた
ら抜き言葉
- 誤用とする規範意識について、従来指摘の少なかったものに以下の「誤用のアンケート」への回答がある
- 出来るといふ意味の場合「られる」といふべきところを「れる」といふ人が相当多く、しかも知識人の書いたものにまで屡々このやうな用法が現れる。例えば「駆けられる」を「駆けれる」、「綴じられる」を「綴じれる」。(相島敏夫[1905生]日本語3-6[1943])
耳障りがよい・何を苦しんでか
- 誤用の定番例の「耳障りがよい」は、初例を遡らないものの、知識人に既に定着していた例として次の例が注目される
- 方言中の雅馴なもの、即ち方言中の調子のよい、耳ざはりのよい、上品なものを加へるといふことは、標準語を豊富にする所以である。(竹沢義夫・実践国語教育5-4[1938])
- 竹沢は学習院教授で、前年に『日本国語教育概論』という本を刊行している
- 言語資料としての活用も可能であり、「何が悲しくて」の類似表現として、「何を苦んでかわざ〳〵田舎訛を採用し」(有坂秀世・コトバⅠ7-5[1937])の例がある
- 閲覧の困難さ、論文データベースや目録がないために利用は難しいが、戦前の専門誌には以上のような有用性がある
雑記
- 不干ハビアンが萌えキャラ化していることを知った