ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

大木一夫(2018.12)日本語史をふたつにわけること

大木一夫(2018.12)「日本語史をふたつにわけること」『日本語学』37-13

要点

  • 『日本語学』37-13 特集「日本語史の時代区分」
  • 時代区分の不可能性と、現代的意味について

出発点と到達点としての時代区分

  • まず、時代区分の以下の2側面について考える
    • 出発点としての時代区分
    • 到達点としての時代区分
  • 「出発点」は、便宜的な時代区分を必要とする考え方であるが、便宜なのであれば、究極的には何でもよいのではないか
    • 「ものさし」が個別の言語の変化に密着する必要はないし、
    • 西暦や世紀で表せばよい
    • 目安であれば、言語史以外の時代区分を用いる方がよい
  • 「到達点」は、奴隷制封建制→資本主義、という発展段階性を持つ歴史学的史観であれば必要となるし、到達点たりうるが、言語学には必要なものだろうか
    • 時代区分を設けることは、歴史の不当な一般化であるとも言える
  • とすれば、この「出発点」「到達点」では時代区分の不可能性が見えてくる

意味付けとしての時代区分

  • 「歴史叙述には、時間的に前後する2点とその2つの時点を組織化・統合化する視点が必要」であり、そのあり方の一つに、「出来事の歴史的意味付け」がある
    • 総合的表現(現象群A)から分析的表現(現象群B)(田中1965)
  • このようにして、現在的な時代と、そうでない時代に区別すること(またその過渡的な時代を区別すること)ができるが、分野によって二分する箇所は異なる
    • 文法は院政鎌倉期を境とするが、文字表記・語彙は近代が境
    • 阪倉の「拓いた表現」から「閉じた表現」も、文法を骨格とするものであって、日本語全体の区分ではない

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  • この点においても時代区分は本質的に「不可能」なものであるが、ある範囲に限る場合においてのもい、その有効性がある
    • もしくは、全体の区分を考えようとすれば、便宜・概略を承知の上で、ということになる

雑記

  • アンパンマン「ホラーマンとにんにくこぞう」を見ていた。行き倒れているホラーマンが、にんにくを食べながら修業をしているキャラ「にんにくこぞう」に助けられ、力を求めてにんにく寺に弟子入りを志願する話。にんにくのキャラが寺で修行……、もしかしてこれは「忍辱」とかけているのではないだろうか、と思ったあたりで急にキャラクターが魅力的に見え、テレビに釘付けになる。
  • ストーリーはその後、弟子入りの過程で二人にないがしろにされたばいきんまんが仕返しのために偽にんにく和尚に化けてばいきんにんにくを街にばらまくが、にんにくパワーを得たにんにくこぞうとホラーマンがアンパンマンと協力して合体巨大ばいきんにんにく(キングスライムのようなやつ)を倒す運び。ガーリックトーストパーティーアンパンマンの「にんにくこぞうもホラーこぞうも大活躍だったね」というコメントで締める、という回。
  • 「ホラーマンがばいきんまんを倒す」という展開に驚く。寡聞にして存じ上げなかったが、ホラーマンはドキンちゃんに惚れており、その心の優しさからただばいきん城にいるというだけで、別に一味というわけではないらしい。