ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

森田兼吉(1996.1)『和泉式部日記』は三条西家本だけでは読めない:『和泉式部日記』三系統論再読・続稿

森田兼吉(1996.1)「『和泉式部日記』は三条西家本だけでは読めない:『和泉式部日記』三系統論再読・続稿」『日本文学研究(梅光学院大学)』31

要点

  • 和泉式部日記の三条西家本の問題について
  • 岡田貴憲・松本裕喜編(2017)『『和泉式部日記/和泉式部物語』本文集成』勉誠出版 を見ていて、どういう扱いをしたらいいのか気になった

問題

  • 例えば以下のような問題箇所(三条西家本)
    • そなたにきたりける人の車を、くるま、人のきたりにけるにこそ、とおぼしめす
    • 宮の心中思惟に侍りが出るのはおかしい
  • 寛元本系統では、
    • くるまのあるをみて、「ひとのきたりにけるにこそ、車は侍り」と聞ゆれば、うし、かへりなむ、とておはしましぬ。人のいふことはまことにこそ、とおぼすも、
    • なお、「うし」は飛鳥井雅章本の誤謬で、原型は応永本の「よし」であったものと推定される
    • 三条西家本は2つの「にこそ」で目移りして大量の文を脱落させたもの

系統論

  • 三系統の関係についての伊藤博(旧)説
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    p.19
  • 森田説

    • すなわち、現存諸本の異同はA本以後に生じたものと考える
    • 伊藤説では応永本は末流本とされるが、森田説では応永本はむしろ三条西家本・寛元本の誤りを正す可能性を有する
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      p.19
  • 以下、他の「三条西家本」の問題箇所の提示

  • 続稿に使用方針としての結論がまとめられているので引用
    • 寛元本と応永本が一致しているとき、三条西家本の単独本文は信用できない
    • 同様に、三条西家本と応永本とが一致しているときの寛元本の本文も信用できない
    • 三条西家本と寛元本とが一致しているときの応永本の本文には信頼できる可能性もある

雑記

  • よく行くマグロ居酒屋が2店目を出したが全然客が入らないらしいので行ってみた。スモーク猪がおいしかった。