ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

米田達郎(2018.3)日本語史資料としての江戸時代中後期狂言詞章:鷺流狂言詞章保教本を起点として

米田達郎(2018.3)「日本語史資料としての江戸時代中後期狂言詞章:鷺流狂言詞章保教本を起点として」『近代語研究』20

要点

  • 虎明本以降の狂言台本の日本語史資料としての問題(人工的舞台言語)を乗り越えるために、
  • 「当代型・古語型・新古語型」の鷺流狂言保教本におけるあり方を見る

当代型:接続詞デモ

  • 虎明本や和泉流狂言六義には見られず、保教本のものが最も古いのではないか
    • 逆接に用いられる点において現代と相違ない
  • 保教本以降では流派を問わず使用される
    • でも、そういへと仰られたに依て、申て御座る(宝暦名女川本)
    • 他、虎寛本、三百番集本、版本狂言記にも例がある
  • 一方、保教本書写当時(18C初頭)の他の口頭語資料を見ると、近松世話浄瑠璃には見られない*1狂言に見られる以上、当代の口頭語では用いられていたものと考えられる。

古語型・新古語型

  • 古語型にウズ・ウズルやオリャル・オジャル
  • 新古語型に、オリャル・オジャルから派生したオリャラシマス・オジャラシマス
  • 蜂谷(1998)*2によるオリャルに関する指摘
    • ヲリヤレ・ヲジヤラシマセが、保教本において、狂言にのみ用いられる言葉と考えられている
    • 保教本にはオジャルよりオリャルが多用されているのは、狂言として一昔前の言葉であったから
    • オリャラシマス・オジャラシマスは虎明本においては女性に使用される傾向があるが、18C以降にその認識が薄れる
    • 保教本と同時期の浄瑠璃にオジャラシマスが使用されるが、これは老人の言葉
  • 保教本におけるオリャル・オジャルは、同時代の浄瑠璃のあり方(老人の台詞)から、「古典劇らしさ」のために用いられ、古語型である
    • 一方で、シマスは近松浄瑠璃に使用が見られず古語型であるので、オジャラシマスは古語型を重ねた形である
    • オジャラシマスは保教本以降には見られず、オジャルも僅少*3
  • 新古語型にあたるものとして、「イリヤラシマス」が虎寛本に見られ、これはオジャラシマスの影響を受けたものか

気になること

  • 狂言に見られて他の当代語資料に見られない」とき、それを「当代語に見られないけど新しい」と考えるのか、「当代語に見られないから古い」と考えるのか、何を判定のベースとするのかを明確に示すべきだと思う

雑記

  • 年賀状めんどくさいな、と思ってすらいないうちにこんな時期になってしまった

*1:とあるが、山崎与次兵衛に「かう寄つたらば金銀出して打たずばなるまいぞ.でも金銀は放さぬ.」の例、冥途の飛脚に「梅川はそれとも知らず、デモ逢ひたいが定ぢやもの.憎いなら来て叩かんせ.」の例、軽口大わらひ(噺本、1680刊)に「なぜに左様にハの給ふぞといへば、でも、させうべんじやと仰らるゝ程にといへば、」の例がある

*2:蜂谷清人(1998)『狂言の国語史的研究:流動の諸相』明治書院

*3:このあたり、新古語型としていたオジャラシマスを古語型としていたり(p.206)、話が飛び飛びで論旨がよく分からない(親切な気持ちで読めば読めるが)。