竹内史郎(2004.1)ミ語法の構文的意味と形態的側面
竹内史郎(2004.1)「ミ語法の構文的意味と形態的側面」『国語学』55-1
要点
- ミ語法をマ行四段動詞と関連付けることが不適切であり、形容詞的に見るべきであることを、ミ語法の構文と形態が持つ形容詞性の観点から述べる
前提
- ミ語法をマ行四段動詞と関連付ける説が支配的である事情として、
- ミがあらゆる形容詞語幹に下接し、形容詞としての特徴が認められる
- その一方で、対格標識のヲによって標示される
- そして、形容詞語幹+ミはマ行四段動詞連用形と形態が一致する
- 意味的に近似するのか、という点への配慮がなく、そもそも「ミ語尾が形容詞活用語尾として音形態的に不安定」「ヲが対格と考えられる」という理解は、近代的解釈に依拠するものではないか
ミ語法の形容詞性
- 情意と属性、その中間の評価・感覚という形容詞の4分類に基づき「属性ミ語法」と「非属性ミ語法」に分類すると、属性ミ語法と属性マ行四段動詞には違いが認められる一方、非属性ミ語法と非属性マ行四段動詞は異なりが明らかでない
- 三笠の山を高み / 乃チ自ラ高ミ敢て敬を致(さ)不(る)
- うつせみの命を惜しみ波に濡れ / 言問せむと惜しみつつ
- 非属性ミ語法の「惜しみ」と非属性マ行四段動詞の「惜しみ」は[ー限界性]という意味素性が共通するため
- 特にこの二者の差異を考える必要がある
- 非属性形容詞文には以下の人称制約が存する
- 断定・詠嘆・成立した埋め込み文の場合、述語主体が一人称
- 他者の心的状態を表現する場合、モダリティ成分の付加か、もしくは疑問文による間接叙述
- 物語的文脈の場合には人称制約はない
- これを述語の形容詞性の指標として用いる
- 非属性ミ語法の場合も同様、直接的叙述では一人称、間接的叙述の場合も形容詞文に準ずる
- 篠の上に来居て鳴く鳥目を安み人妻放に我恋ひにけり(3093)
- 秋萩の散り行く見ればおほほしみ妻恋すらし さ雄鹿鳴くも(2150)
- 一方、非属性マ行四段動詞の場合、主語は一人称・他者共に可
- 以上より、形態が同じであってもマ行四段動詞とミ語法は同一視すべきものではない
形態的意味との整合性
- そのうえでマ行四段動詞とミ語法を関連付けようとすると、「マ行四段動詞に人称制約が付与されてミ語法として形容詞の意味を持つようになる」という転換を想定することになるが、
- 形態変化を伴わない意味転換は考えにくい
- マ行四段動詞の語彙的制約(カシコム、ヲシム、ニクム、ウム、メグムの5語)を説明できない
- ミという語尾形態の意味付けを考える
- 母音i:古代語形容詞活用語尾のケ甲・ケレはそれぞれ、ケ甲はki1+a(未然形が含むa)>ke1、ケレは動詞已然形を、それぞれ類推的に取り入れており、ミ語法も中止のi(連用形が含むi)を取り入れた形容詞活用語尾として理解される
- 子音m:接尾辞派生においては子音が選択されやすいが、rは動詞範疇、fは継続を担っていたために選択されず、形容詞活用語尾のうち、k, s, との機能分担のためにmが選択されたと考える
- 近代語文法において格助詞ヲは他動詞構文と理解されているが、上代語においては主格位置にヲが現れることがあり、単純に「ミ語法のヲは対格」とは考えられない
- 「妹がうら若み」のような、ガとの交替例もある
雑記
- 「新年明けまして」を直し続けるおじいさん、ゾンビっぽい