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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

佐藤嘉惟(2018.6)世阿弥自筆能本の表音的表記:表記の揺れと執筆過程

佐藤嘉惟(2018.6)「世阿弥自筆能本の表音的表記:表記の揺れと執筆過程」『能と狂言』16

要点

  • 表音的とされてきた世阿弥能本に非表音的箇所があることを指摘し、
  • その表記揺れの生まれる過程に書写行為があったことを想定

研究史

  • 能本への注目は、日本語史研究において大正期(吉沢義則)、能楽研究において戦後から
  • 日本語史研究において、仮名遣いに「音標的なる事」(表音的)、「歴史的考察を加へたる」(非表音的)のあることの指摘
    • ただし、表音的であるという前提は詳細に検証されていない
  • 戦後の能楽研究においては、表音的な表記が世阿弥独自のものと見る議論が提出されている
    • ただし、非非表音的であるという性格については検討されていない
  • 個々の音声現象がどれだけ具体的な表記に反映されているか?を検討する

音声現象

  • 促音表記について、
    • ツ字の小書きは世阿弥独自の工夫とされるが、天台宗声明譜本に同様の事例があり、世阿弥の手本となったものと考えられる(沼本克明)
    • 促音・撥音に表記の混乱があるが、これは中世においてごく一般的な現象
      • 以上2点は表音的な表記と捉えられる
    • 一方、四段動詞促音便についてはヨテ・アテなどが促音非表記であり、音韻上の条件ではなく、語種がそれを決定すると考えられる
  • 濁音表記について、
    • 非字音語に濁点を付すかどうかでグルーピングが可能
    • 二濁点か三濁点かは、時期的な問題か
  • 連声表記について、
    • 助詞ハ・ヲに連なる連声は、撥音系は豊富だが、促音系の連声はネンブツトのみ
    • 世阿弥時代には既に連声が規則的な現象ではなかったとする見方があるが、「当時の標準的表記方からすれば連声は表記しないという意識があった」とみたい
      • すなわち、連声形の方を表記規範の破れと見る
  • ハ行転呼音の表記について、
    • 候・給に見られるヘ字は事実上の表音表記(音はエだが、漢字と仮名が一体化しているものと考える)であるが、助詞ハのハ表記は、表音的原理が緩んだもの
  • 以上をまとめると、表音的な箇所も非表音的な箇所が混在し、融通無碍な態度を取っていたものと読み取れる
    • 確かな理論付けがあるというよりは、むしろ出たとこ勝負で書かれたのではないか

表記の揺れの背景

  • 能本はいかにも「一から作った」ように考えられがちだが、目移りのある箇所などがあり、既存の本を書写して成ったと推測される箇所がある
  • 能「柏崎」などでは曲舞の移植が見られ、これが表記の揺れを生んでいる
    • ハ行転呼音のハ行表記は移植箇所にしかない
  • 同様、能本内部以外に、曲間の揺れ(表音性の高低)についても、他作者の能本の書写が要因として考えられる
  • 世阿弥にとって能本は、後代にテキストとして伝えようとしたものというより、草稿的性格の強いものだったのではないか?

雑記

  • お、おもしれ~