高桑恵子(2015.9)「「御覧ず」の関係規定性:源氏物語における」『国学院雑誌』116(9)
要点
- 「御覧ず」と「見たまふ」の違いについて、御覧ずには関係規定性が認められ、見たまふにはそれがないことを示す
前提
- 御覧ずは見たまふより敬意が高いとされるが、表現価値が異なるものともされる
- 動作主体と客体の関係の検討から、この2語の違いを指摘したい
何を「見る」か
- 以下の3通りに分けられる
- 人物を見る場合
- 人物の所有物を見る場合
- 物を見る場合
- 「人を見る」場合において動作主体と客体の身分関係を見ると、「御覧ず」は動作主体が客体より上位の場合にみ用いられるが、「見たまふ」は主体・客体の上下に関わりなく用いられる
- 御覧ずだけを用いるのは帝のみ(桐壺ガ御覧ず)
- 御覧ず・見たまふ併用者が、
- 御覧ずを使う場合、客体は下位者(源氏ガ右近ヲ御覧ず)
- 見たまふを使う場合には、客体が動作主より上であることがある(源氏ガ大臣ヲ見たまふ)
- 見たまふだけを用いる者にも、客体が動作主より上の例がある(若紫ガ源氏ヲ見たまふ)
- 「人物の所有物を見る」場合も同様、「御覧ず」は動作主体がモノの所有者より上位の場合のみに用いられ、「見たまふ」は関わりなく用いられる
- 「物を見る」場合には御覧ず・見たまふで差が見出されない
- 極めて身分が高い場合には御覧ずのみ、そうでない場合は見たまふ、というように、この場合には動作主体の身分の高さによって使い分けられているように見える
- が、併用される場合もあり、一概に高低のみとも考えられない
- 以上より、御覧ずは関係規定性を持ち、見たまふは関係規定性を持たない
雑記
- 「自らが考案したかどうかへの言及は避けましたが、令和への思いを語りました」は、ちょっとコントっぽかった