川村大(2000.2)「叙法と意味:古代語ベシの場合」『日本語学』21(2)
要点
- ベシを「観念上の事態の成立を承認する叙法形式」と捉えることで、その多義性を説明できる
前提
- 仁田・益岡らのモダリティ論は、以下の点で問題を孕む
- 「主観性」を持たない用法を持ち合わせる助動詞の全体像を捉えられない
- 「包み込む」考え方は、「推量」と「疑問」の関係を説明できない
- 「モダリティ形式は個々の意味との対応物であるものと考える」のは、多義性を説明できない
- ベシの分析によって特にあらわになるが、どのような助動詞観を考えればよいか
ベシの多義性
- 推定・適当・義務などのうちの1つの意を出発点として、派生関係により他の意味を導き出すのは難しい
- 主観や態度に
- 仮説として、ベシを「観念上の事態の成立を承認する叙法形式」と捉える(山田・尾上の立場)ことで、上記の問題は解決される
- 価値判断を伴わない意味について、
- 推量(反実仮想)や推量(個別事態の例外性の強調)は、事態の生起の有無と無関係に、観念上で成立の有無を語ることができるベシの特質によるもので、
- 「に違いない」のような事実世界に関わるものも、推論による観念上の事態の承認である
- 「しそうだ」と訳される例は、「この状況から推論によって得られる」事態を述べるもので、
- 可能の意は、「(行為者がある行為を意図すれば)その行為は成立する」と承認するものであり、
- 価値判断を伴う意味についても、
- 「観念次元で成立する」ことは「そうあってよい理屈がある」ということであり、それは、事態成立の妥当性を承認することでもある。これが、事実世界でのあり方の妥当性が問題になる文脈で用いられる場合に、価値判断を伴う意味を持つと考える
- 適当の意は、事実世界の個別事態の妥当性に、観念次元における妥当性を適用したもので、
- 義務は、妥当性を帯びた事態が、通常積極的に実現が要請されるために現れる意味で、
- 許容は、積極的に要請されなかった場合(実現が妨げられない、程度)の意味である
- 命令の意も、その「妥当であり、要請されている」ことを聞き手に示すことで実現する
雑記
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