坂井美日(2019.9)「南琉球宮古語における準体の変化に関する考察」『方言の研究 5』ひつじ書房
要点
- 宮古語の準体にはゼロ準体と準体助詞 =su, =munu の準体があり、
- ゼロ準体はコト準体から許容されなくなり、これは本土方言の歴史と一致する
- 準体助詞 su, munu は、形状物を指す形式の文法化によって獲得されたものである
前提
- 宮古語の準体形式、 =su, =munu とゼロ準体
- su は出自不明で、意味の限定(人、物、事柄)がない
- munu はもともと mono と考えられるが、形状物(kau-tai=munu, 買ったの)だけでなく事柄(kjuu=munu, 帰るの)も指す(池間)
- ゼロ準体を持つ方言は少ないが、確かに存在する
共時的整理
- 城辺方言において、
- 明治生まれ(文献):su は人に偏り、munu は人・物に偏り、ゼロは少ないが、形状物・事柄の両方を指す
- 大正生まれ(面接):suu は人のみを指し、munu は人・物のみを指し、ゼロは事柄のみを指す
- suu, munu が固定的である点で明治と共通し、ゼロ準体の形状物の指示が拒否されるという点で異なる
- 昭和生まれ(面接):su は形状物のみを指し、munu も形状物のみを指し、ゼロは事柄のみを表す
- 準体助詞準体について分かること2点、
- su が人を指す名詞要素であったと考えると、これらの連体形+su は、連体形+形式名詞であって、準体とは言えない
- munu も語源の範囲の者・物を出ておらず、これも名詞化構造とは言えない
- その次の段階(の傍証)として、伊良部語を考える
- su, munu は意味範囲に限定されず、ゼロ準体は事柄に限定
変化の位置づけ
- 名詞から準体助詞を獲得したと考えられるが、これは個別現象
- 例えば東京・関西方言は属格ノから準体助詞を獲得している
- ゼロ準体が形状物を指すタイプから許容されなくなるのは、通方言的な現象
- 関西方言は形状物から先にゼロ準体を失う
- 東京方言も同様の結果
- ゼロ準体を用いる諸方言を見ても、ゼロ準体が事柄の指示に使われ、形状物の指示に使われない方言はあるが、その逆はない
雑記
- 「尿液晶」今考えるとすごい言葉だと思う