ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

川口敦子(2002.9)キリシタン資料の「口語資料」と「文語資料」:「ござる」の用法を手がかりに

川口敦子(2002.9)「キリシタン資料の「口語資料」と「文語資料」:「ござる」の用法を手がかりに」『国語国文』71(9)

要点

  • ゴザルの使われ方を手がかりに、キリシタン資料における「口語」「文語」について考える
    • 天草平家における「世話」のようなものが口語、そうでないものが文語であるように漠然と考えられてきたが、
    • 大文典では、話し言葉と、荘重な文体を話し言葉に適応させたもの(説教)、上品な談話(舞)の3種が挙げられる
  • ゴザアル>ゴザルの過渡期である当代において、ゴザルは「話し言葉」資料にしか現れないはずであるが、実態は以下の通り
    • A: 宗教書、大文典でいう「内典」
    • B: AとCの中間に位置する、「宗教的文学書」
    • C: 大文典でいう「話し言葉

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  • すなわち、いわゆる「文語資料」が文語体で書かれていても、文章の性格によっては口語的な表現が入り込む余地がある
  • なお、懺悔録とバレト写本「ナタルといふ祝ひ」は、内容的には宗教書であるが、口語体で書かれている
    • 懺悔録は、懺悔の会話を具体的に例示する構成であることによるが、
    • ナタル」も同様に解釈できるかは分からない。(宣教師が信者に語りかける台本であったなど、様々な仮説が立てられるが)

雑記

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