鶴橋俊宏(2013.1)洒落本の推量表現(1,2)明和期~寛政期のウ・ヨウとダロウ/享和期以降のウ・ヨウとダロウ
鶴橋俊宏(2013.1)「明和期~寛政期のウ・ヨウとダロウ」『近世語推量表現の研究』清文堂出版 初出1990『野州国文学』46
鶴橋俊宏(2013.1)「享和期以降のウ・ヨウとダロウ」『近世語推量表現の研究』清文堂出版 初出1992『静岡県立大学短期大学部研究紀要』5
要点
- 前記事の続き、
- 明和・寛政期における下接形式は(1節)、
- ①終止する場合、天明・寛政以前はウ>ダロウ、それ以後はダロウ>ウ
- 引用の場合はともにウト思ウで固定的
- ②終助詞を下接する場合、ダロウカの例がなく、ダロウはネ・ノに偏る
- ③接続助詞を下接するのはウが優勢
- ④ダロウは確認要求が多く、早い時期ほどその傾向が顕著
- ①終止する場合、天明・寛政以前はウ>ダロウ、それ以後はダロウ>ウ
- 享和期においては(2節)、
- 原因・事情の推量にもダロウが用いられる
- 明和寛政の③はなおウが優勢
- ①については、谷峨・一久がウを多用するため、ウ>ダロウ(「洒落本の作風が語法の上にいかに反映するかは未だ検討の余地があるのではないか」)
- ④についても確認要求の例を拾うことができる
- ②については、享和に入るとダロウカが見られるようになる(ただし少数)
- 現代語のダロウは「疑い」が自然な用法であるが、江戸語の性格は明らかに異なる
- ダロウは初めから推量と確認要求を持ち、後に疑いの用法を持つようになると考える
- 推量と確認要求が「話し手の認識が不確か」である点では一致することに基づけば、江戸語のダロウが疑問文に生起しにくいのは「不確かさの度合いが現代語とは異なっていた」ためか?
要点
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