ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

森山卓郎(2013.6)因果関係の複文と意志的制御

森山卓郎(2013.6)「因果関係の複文と意志的制御」『国文学研究』170

要点

  • 因果が成り立っていても不自然な場合があることを手がかりに、因果関係と意志の関係について考える
    • 1 *私は、砂糖を減らした{ので・から}クッキーをあっさりと仕上げた。
    • 2 私は、砂糖を減らした{ので・から}クッキーをあっさりと仕上げることができた。
    • 3 砂糖を減らした{ので・から}クッキーがあっさりと仕上がった。
  • ノデ・カラの複文についての観察
    • 主語が異なると因果で接続可能(3)
    • 同一主体かつ意志的動作の場合に不可能(1, *彼が怖い話をしたので子供たちを怖がらせた)
      • このことから、「因果関係において原因と帰結は同じ意志の制御を受けない」と一般化される
    • この一般化により、(2)が、後件を無意志動詞化しているものとして説明可能
    • 同様に、文脈的に無意志動詞としての解釈ができれば可能(必要以上に子ども達を怖がらせてしまった)
  • 「因果関係とはそもそも別の事態の相互関係であり、その事態間の関係として原因と帰結が連結される」ことであるので、「前件と後件がともに意志的であれば、それは意志的な制御による一つの事態として連結されてしまう」(事態として独立しない)のが、この制約の要因である
    • 上の一般化に但し書き、「因果関係における前件と後件の独立性:原因と帰結は同一事態であってはいけない。原因と帰結の主体が同じ意志の制御を受け、その発生の時空が分離していない場合、同一事態としての扱いになり因果関係の連鎖にならない。」
  • その他、
    • テ形についてはノデ・カラが不自然な場合も成立することがあるが、これは継起的(な読み)になるため
    • ただし、「起因的継起」(仁田)のテも、因果がキャンセル可能である(46)ので、基本的な意味は継起性に求めるべきであろう
    • また、上の一般化は接続詞にも言えるので、従属節のみならず論理関係一般に適用可能である

雑記

  • 院生の頃ってなんでもかんでもスキャンしてたけど、だんだんスキャンするのすら億劫になってきたね。今はそのときの遺産で生きてます