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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

山口明穂(1972.3)中世文語における「つつ」についての問題:意味認識の過程

山口明穂(1972.3)「中世文語における「つつ」についての問題:意味認識の過程」『国文白百合』3

要点

  • ツツは秘伝書において以下のように記述され、あゆひ抄などでは認識されている「一つの動作の反復」についての説明がない
    • 程経之心(動作の経過)/二事相並(動作の並行)(手爾葉大概抄)
    • 「ほとをふる心」(春樹顕秘抄)
  • 中世以降のツツについて、
    • 平安時代に既に文語化しているとされ(吉田金彦)
    • 悦目抄(鎌倉末)にはカモ・スモ・ラシなどの古語化した語とまとめられている
    • ロドリゲス大文典では「話しことば」で触れられず、狂言にもほぼ例がなく、天草平家では置き換えられている
    • 「『手爾葉大概抄』や『春樹顕秘抄』あるいは、『分葉』などで、「つつ」の語が採り上げられ、解説されているのも、一つの理由として、それが耳遠い言語となっていたということが考えられる」
  • 秘伝書では「一つの動作の反復」の説明が欠けているが、これは当時の著述者がその意味を認識しなかったためである
    • 今昔で、本来ツツとある箇所が流布本でテやツに誤られる例があるのもそう
  • 今昔や平家には「「て」に通う「つつ」」の例があり、こちらは誤られにくかった(すなわち認識されていた)
    • 其辺ちかき侍の家におろしをきつつ、宰相ばかりぞ門の内へは入給ふ(少将乞請)
  • 継続・並行の意の理解はされているが、反復の理解は行われていない理由を考える
    • テ相当のツツは、ナガラなどで言い換え可能な領域であるが、
    • 動作の反復は動詞重複という、「語ではない」言い方で表すしかない(成章も「説きやすからず、いはんや里言あつべしともおぼえず」とする)
    • 「中世人は、思考を展開するにあたって日常会話の語を基にしていたと考えられる場合がある」ので、これもまた、日常会話語における同意語の欠如という観点から捉えられるだろう

雑記

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