ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

宮崎和人(2019.4)モダリティーの主観化について:〈必要〉を表す文の場合

宮崎和人(2019.4)「モダリティーの主観化について:〈必要〉を表す文の場合」澤田治美ほか編『場面と主体性・主観性』ひつじ書房

要点

  • 否定条件形+イケナイ・ナラナイの複合的な形式と、その「省略形」について、その差異を明らかにしつつ、主観化の観点から説明する
    • 学校に行かなきゃいけない。(非省略形)
    • 学校に行かなきゃ。(省略形)
  • 非省略形は〈必然〉〈義務的必要〉で使用されるのに対し、省略形はその用法を持たず、〈評価的必要〉のみを表す(すなわち、単に「省略」とは考えられない)
    • 必然:あんな男のために自分の人生を棒に{振らなきゃいけない/*振らなきゃ}。
    • 義務的必要:部長の命令で彼は休日も仕事を{しなきゃならない/*しなきゃ}。
    • 評価的必要:思うに、彼はもっと仕事を{しなきゃ/しなければだめだ}。
  • 省略形は非省略形に対して評価性が卓越し、省略形においては主観化の傾向が見られると言える
    • 彼は長男{*なので/なのだから}、家を継がなきゃ。(理由節が主張の根拠として働く)
    • 困ったら先生に{相談しなきゃいけない〈忠告〉/相談しなきゃ〈非難〉}
    • どうせ死ぬんだから旨いものでも食って死ななくっちゃ(自己の行動の〈正当化〉)
    • 省略形は主体が1人称・2人称の例が多く、特に1人称の場合、〈言い聞かせ〉のニュアンスが強くなる*1

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p.462

雑記

  • 全ての締切が半年延びただけだった

*1:「言い聞かせ」を「より主観的」に位置づける根拠が分からん、むしろ対人的形式になっているのでは?