辻本桜介(2017.10)文相当句を受けるトナリについて:中古語を中心として
辻本桜介(2017.10)「文相当句を受けるトナリについて:中古語を中心として」『ことばとくらし』29
要点
- 中古語では、文相当句を受けるトにナリが付く。このことについて考える
- *僕が思ったのは、「もう春が来た」とだ。
- かく言ひそめつとならば、何かはおれてふとしも帰りたまふ(夕霧)
- トが承けるものを体言と同資格と考える(林巨樹説)のは難しく(*~トガ、~トヲ)
- 言ふなどの省略と見なす(春日和男説)のも不適当である(cf. 藤田保幸)
- トナリがトナラバとなるかそれ以外かで前接形式が大きく異なるので、一旦分けて考える
- まず、トナリのナリが指定辞か動詞かという問題について、
- 確実に動詞ナリである例(人にまさらむとなれる人にこそ・うつほ)は、人が生まれることに言及する表現に限られ、
- 確実に指定辞ナリである例(加へむとにやありけん・源氏)もある
- トナラバは以下の3点より、指定辞ナリであると考える
- トナラバが「人が生まれることに言及する表現」と関連しない
- 敬語化せず、助詞の介入もない(複合辞化している)
- 動詞ナリがナラバの形になりにくい
- トナラバ以外のトナリ(指定辞)の大半は「人物の行為+ハ・モ・φ+動機+トナリ」として解釈できる
- 謹しみて詔をうけてこの道にたしなむことは、子を恵みて、親のわざを継がしめむとなり。
- トナリが承ける文相当句は、意志・命令・情意に偏り、動機の内容を示す
- トナラバはトナラバ以外のトナリとは異なる性格を持ち、「現実に実現した事態を表す文相当句+トナラバ+主節」の構造を取るものが大半である
- よし、かく言ひそめつとならば、何かはおれてふとしも帰りたまふ。(夕霧)
- 前件は仮定される事態ではなく既に発生した事態で、トナリとは大きく異なる
- このことはトナラバと他のトナリが別源であることを疑わせるが、上代のトナラバが他のトナリと同様の構造を持つことに基づけば、トナラバも指定辞ナリを含むものと考える方がよい
- なお、このトナリは分裂文の述語とは考えにくい
- 「言ふは~、となり」の例がないことから、Ⅰ類からの派生と見ることは難しく、
- Ⅱ類のトの前接語とも接続の様相が異なる
メモ
- 彦坂(2006)に、九州の準体助詞トを引用のトと関連付ける説があり、大文典の「あれがとぢゃ」を挙げる