ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

篠崎久躬(1993.3)江戸時代末期長崎地方の推量・尊敬の助動詞

篠崎久躬(1993.3)「江戸時代末期長崎地方の推量・尊敬の助動詞」『紀要(長崎県立長崎南高等学校)』26.

(篠崎久躬(1997.5)「助動詞:推量と尊敬」『長崎方言の歴史的研究:江戸時代の長崎語』長崎文献社 による)

要点

  • 当期の長崎方言の助動詞について、
  • 推量類は、
    • ヨウは未成立で、ウのみ、第3期に見える。
    • ロウ系列については、
      • 室町末に既にロウ(<ラム)・ツロウ・イロウが九州方言と考えられており(ロドリゲス大文典)*1
      • 第2期にはイロウがメインで、ロウはカ変にのみ、「Go-to-away Kiro」(日本冒険談日米語彙)として固定化している。
      • そのイロウも固定化して、「ジャの連用形+イロウ」で並列を表すようになる。
        • 嘉瀬の焼餅ンじやリイロウ又いで餅じやリイロウ(滑稽洒落一寸見た夢物語・武雄有田の話者)*2
  • 尊敬類は、
    • (ルル・ラルルではなく)ス・サスが一般的であり、尊敬度はあまり高くない。

メモ

  • 著者は長崎方言の時代区分を以下のように考える。
    • 第1期:開港(1571)~17世紀末までの約130年間(人口の急激)
    • 第2期:18C初めから中頃までの約50年間(人口の移住・急増の停止)
    • 第3期:18C後半から幕末までの約100年間(肥筑語を根幹とすることばの混成の完了)

雑記

*1:「Yaran, Yara の代わりに Irǒ 又は Yaro」とあって、ヤラ系ということ?

*2:現象がおもしろすぎる