木下書子(1991.9)「係り結び衰退の経緯に関する一考察」『国語国文学研究』27.
要点
- 係り結びにおいて、係りの語と結びの語との間に意味関係が成り立たない例があり、これは例は少ないものの、全てが異例であるとまでは言い難い。
- 隠れなき御匂ひぞ、風にしたがひて、「主知らぬ香。」とおどろく、寝ざめの家々ありける。(源氏・橋姫)
- 「いずれも少々文脈を異にする二つの文が、係助詞が意味の上でかかる語句を軸にして緩やかにつながっているという構文上の特徴がある」*1
- こうした例は、いわゆる「開いた表現」に基盤を持ち、係助詞にあとに断裂があることによって生じたものと考える(「論理性がぼやけているからこそ、同一の語に二つの構文的職能を担わせるというようなこともなしえた」)。
- 意味的なズレ(A)と形態的な破格(B、ぞ…已然形、こそ…連体形)を比べると、Bが現れる頃にはAが現れなくなったものと考えられる*2。
- 「Aは、係助詞の後に生ずる断裂によって文に屈折、停滞を持ち込む余地を得てはじめて可能となったものであるがゆえに、係助詞の機能が弱まり、文を切る力が失われてくると、もはや生じ得なくなった」
雑記
- 開いた閉じた、その頃に生きてない人間からすると持て囃されすぎでは感があって、そういうのって他にも結構ある
- だからこれとか、そうだよね~と思う(仮に含蓄があっても付き合いすぎる時間がないという意味で)
業績出さないといけない院生や若手は、やはりちゃんとした学会誌に載った最近の論文を中心に読んだ方が良いと思う。昔の有名人や、ある特殊な流派に属する人の論文を好むのも自由だけど、非科学的・非実証的なものは殆ど評価されていないように感じる。真似ても生き残れない。
— 消魚 (@umuwmunwn) 2022年10月1日