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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

山本佐和子(2016.3)五山・博士家系抄物における濁音形〈候゛〉について

山本佐和子(2016.3)『五山・博士家系抄物における濁音形〈候゛〉について」『国語語彙史の研究35』和泉書院.

要点

  • 杜詩抄などの五山・博士家系抄物に、濁音形「ゾウ」があり、
  • これは、他の文末形式(ヂャ・ゾ)と併用され、周辺的・補助的な注釈内容を示す際に用いられる。
  • 口語・講義の場でも用いられていたが、抄物の文体に適さなかったために、(抄物全体を見ると)現れにくいのではないか。

細かく

  • 濁音形の認定について、
    • 能の伝承音や洞門抄物に見られるゾロ・ゾウがコピュラとして用いられることを踏まえると、
    • 杜詩抄において文末で用いられる「Nソウ」「V連体形ソウ」は濁音形の可能性が高い。
  • 杜詩抄において、
    • 杜詩抄の「ソウ」のうち、コピュラの用法は、ヂャを用いる文体(巻11以降)のみに見られるので、これは濁音形のゾウであると認める方がよい。*1
    • この、ヂャ・ゾウを含む抄文において、注釈内容によって文末表現を使い分ける様子が窺われる。
      • ヂャ:原典の詩句の口語訳に用いられる。
      • ゾウ:以下の3種に分かれ、「初学者に向けたような簡潔な語注や説明」という点で共通する。
        • ナリ(形)・テイ・ココロ+ゾウ:詩句が何の様子について述べたものかだけを簡潔に述べる。「甫カナリソウ」
        • Nゾウ:名詞の辞書的な意味の説明。「捷径ハスク路ソウ」
        • V連体形ゾウ:易しく完結な注釈内容を表す。
  • ゾウが候に由来する文語的な形式だとすると、「初歩的で易しい」ことと矛盾するように見える。他の五山・博士家系抄物での〈候〉〈候゛〉を併せて考えると、
    • (原典の対話ではなく)講者が聴者に対して〈候〉を用いる抄物(毛詩抄)では、他の文末表現(ゾ)とともに用いられ、注釈内容が個人的な見解の付け加えに用いられるという点で、共通する。
    • 史記桃源抄では、桃源瑞山の経験談中の会話に「デサウ」が見られる。当時の口語・講義にはしばしば〈候〉〈候゛〉は使われていたが、注釈書としての抄物の基調となる文体には適さなかったために(〈候〉に、現代語のデス・マスのような「受け手指向性」があったと考えると、注釈書としては煩わしい)、現れにくいのではないかと考えられる。
  • なお、この〈候゛〉は、
    • もともとは「N+に+さうらふ」から生じた縮約形であり、
    • ナリの用法のほとんどを獲得する(e.g. 中世のトナリを引き継いだ と候)
    • 発生当時から終止用法しか持たず、これが終助詞に近い意味合いを持つことに繋がったと考えられる。

雑記

  • Category: 『文法と意味Ⅱ』が「近刊」として言及された文献の一覧 - Wikipedia

*1:この辺の理路があんま分からなくて(杜詩抄で清音形のソウがコピュラとして用いられていたと見ちゃいけないのかという)、そもそも濁音形であることが主張の根幹にないなら形態的なところはあまり問題にしなくてもよいのではないかとか思う