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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

石山裕慈(2018.10)「漢字音の一元化」の歴史

石山裕慈(2018.10)「「漢字音の一元化」の歴史」『国語と国文学』95-10

要点

  • 日本漢字音の呉音・漢音などからなる複層性の区別が、明治以降に薄れていくことについて
    • 明治以降に屋名池(2005)*1があるが、それ以前にも「一元化」の文脈に位置付けられるものがある

博士家『論語』の漢字音

  • 鎌倉・南北朝の博士家の論語の講読では経典釈文の注が利用されていた例があるが、あまり注として明記されていないので、
  • 仮名論語(かながきろんご)を見てみる
    • 博士家の訓法と近い、釈文注が想定されるもの。そし(疏食、一音)、かうよふ(皐陶、音)、せうこう(菜公、舒渉反)など
    • 当然だが、主に漢音形。和【カ】、客【カク】、兄【ケイ】、是【シ】、従【ショウ】、任【ジン】、城【セイ】、第【テイ】、麻【バ】、百【ハク】、未【ビ】、問【ブン】、豹【ホウ】、沐【ボク】、幼【ユウ】、勇【ヨウ】、六【リク】など
    • 一方で、「ほころび」も見られる
      • 韻書全濁字が濁音形になる例*2
      • 兵車(ヘイキョ)を「へいしや」とする例
  • 文明本節用集で検討すると、
    • 仮名論語に「かなり(未可)」とある「未」は、訓読文としては未可(ビカ)、未成(ビセイ)、未兆(ビテウ)があり、訓読文でないものに未明(ビメイ)があるが、ほぼ呉音ミが優勢
    • 仮名論語に「よふしや(勇者)」とある「勇」も、呉音ユウが優勢。幼は一元化がさらに進んでおり、「ユウ」は見られない
    • 一方「百」は、漢音ハクで安定し、呉音ヒャクの例は少ない。ただし、日葡辞書ではヒャクが多く、ヒャク~の造語力の高さを物語る
    • 「字による遅速はあっても漢字音が一元化されるという流れは昔からあり、現代人が想像するほどには複層性が強固なものではなかったという可能性に思い至る」

室町時代の『論語』訓読資料の漢字音

  • 鎌倉・南北朝論語点本に、室町時代の別訓が加えられるものがある(建武本、蓬左文庫本)
  • 規範的漢音形を志向しながら、勇・幼など、呉音形に一元化する傾向あり
  • 一方、非標準的な音形が現れることがある
    • 具(漢音ク)に対して「キフ」の仮名を加えるもの。これは「求」(呉音グ、漢音キュウ)、「久」(呉音ク、漢音キュウ)からの類推によって誤った漢音形が出力されたもの
    • ウ段オ段の交替例。恭【キュウ】、笑【シュウ】、趙【チュウ】など
  • こうした非標準的な「漢音形」は、規範的な漢音形を志向する意識があったこと、その背景として、漢字音の一元化が進行していたことを想定させる

『田舎論語』と明治初期の不安定さ

  • 田舎論語(1785刊)の段階に至ると、呉音読みの頻用が目につく
    • 仮名論語では「かうよふ」(皐陶)が田舎論語では「かうとう」、などなど
    • ただし、日常言語ではワが優勢になっている和はワ・カの読み分けがあること、ロクが優勢になっている六にリク形しか見いだせないことなど、完全に一元化したとは言えない点もある
    • ほか、兄弟(ケイテイ・キョウダイ)、言語(ゲンギョイ、ゴンゴ)など複数の読みをするものがあり、これは明治時代の字音の選択のあり方に近い
  • 明治のあり方を見てみると、
    • 「下問」「議定(戯)」「決定」「祭文」など、複数の音形を持つもの
    • 揺れているように見えて、片方に偏っているもの
  • ただし、漢語にとって重要なのは文字列の方で、読み方は受容者がその読み方に合理性を見出だせるかどうかが重要(→非標準的な漢音形)

まとめ

  • 漢字音の一元化は近世以前からあった
    • 日常では使われていない漢音形や、体系から外れた仮名音注
    • 明治時代のあり方も漢語の不安定さによるものであって、一元化の反証にはならない
  • なお、漢音形の方に一元化されたものもあり(石山2018)*3、決して呉音が伸長したというわけではない

*1:屋名池誠(2005)「現代日本語の字音読み取りの機構を論じ、「漢字音の一元化」に及ぶ」『(築島裕傘寿)国語学論集』汲古書院

*2:原則として呉音で濁音、漢音で清音

*3:「中世以降の「シウ(シュウ)」「シュ」の呉音形をめぐって」『国語語彙史の研究」37