ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

沖森卓也『日本語全史』を活用するために

沖森卓也(2017)『日本語全史』ちくま新書は、「学部生にリファレンスとしてとりあえず持っておいてほしい本」として抜群のコストパフォーマンスを誇る。

www.chikumashobo.co.jp

が、広い分野・時代に亘って記述することの弊害か、特に、著者の直接的な専門ではない(失礼?)中世以降の文法の記述については情報が古いものが目につく*1。 そういうわけで、以下、特に文法の項目について、これは今は通説ではないとか、他にこういう説があるとか、記述が不十分であるとか、そういうことを勝手に補訂して、引くべき例もついでに引く。 外部リンクは、リポジトリのあるものはリポジトリへ、ないものは国語研DBなどへ。教科書・参考書として使っている方の、勝手なサポートページとしてもどうぞ。

[所謂上代特殊仮名遣について]通説では、このような区別をそのまま母音の違いに求め、母音が八つあったと説かれることが多い。(p.41)

→「通説」として強いて挙げるならば、服部の六母音説がメジャーではないか。少なくとも今は、「八つあったと説かれること」は多くないと思う。例えば木田(2011)の整理が分かりやすい。

[「蹴る」がかつて下二段活用であったとする説について]また、岩崎本『日本書紀』の十世紀の訓にも「打毬之侶」の「打」に対して「クウル」とあって(p.67)

→こっちの方がロマンがあるが、通例ではクユルの誤りとされる。山内(2003)に詳しい。

古典語における動詞活用の形式(p.68)

→立場によるが、所謂二段活用については、母音語幹の複語幹と見る方が経済的かと思われる*2清瀬(2013)と、その書評の黒木(2015)参照。

[上一段活用について]このうち、「干る」「廻る」「居る」はもともと上二段活用「ふ」「む」「う(ワ行)」であるから、(p.70)

→この例は注が必要か。それぞれ、「干る」は、「乾、此をば賦と云ふ(乾、此云賦)」(日本書紀・景行紀)、「急居、此をば菟岐于(つきう)と云ふ」(日本書紀崇神紀)を踏まえた記述。「廻」は「こぎたむる〈武流〉浦のことごと」(万3867)など。ほか、「嚔ふ」(はなふ>はなひる)も古くは二段活用である。

[助動詞ムについて]「…と見る」は〈…と推量する〉という意ともなるから、「見る」のミは助動詞「む」と同源でもある。(p.82)

〈見る〉意の古い動詞「む」は、もともとは無語幹の四段活用であり、その連用形が「み」であり、これに基づいて再活用させた結果、上一段活用となったものと見てよかろう。

推量・意志の「む」は、上一段活用の由来で述べたように、「見る」の古形である、無語幹の四段活用動詞「む」に由来する。

→ムを個別の動詞に由来すると見る説は、ムが未然形接続であることを説明できない点が致命的に弱い。旧上二段のム→ミ「廻」は「見」と甲乙が異なることにも留意したい。 なお、ムの由来として有力と思われるものの一つにム語尾動詞分出説がある(小柳2014釘貫2016)が、釘貫(2016)の「ム語尾動詞が精神的」であるという説明は、やや恣意的であるように見える。小柳(2014)を含む著書にナロック(2019)の書評があり、その反論に小柳(2020)がある。

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[形容詞の終止形シについて]このような「あらし男」「いかし矛」「うまし国」などが、倒置表現によって「男あらし」「矛いかし」「国うまし」のような主述関係として捉え直されたのが終止形「~し」であろう。(p.87)

→これが誰の説であるのか、不勉強で分からない(ちょっと調べたけど分からなかった)。有坂(1964)は、シク活用の―シに類推する形でク活用語幹+シが発生したものと見ており、これが定説か?

[ミ語法のミトについて]接尾語「み」を「と」で受けることもあり、その場合〈~と思って〉の意となる。(p.90)

→「思って」を補うのではなく(著者も「省略である」とは言ってないのだが)、連用形+藤田(2000)のⅡ類と考えたい。竹内(2011)も参照。

上代のユ・ラユについて]〈そのことが生じる〉〈そのことができる〉という可能の意ともなった。(p.91)

→(ラ)ユが上代において肯定可能を表す例はないのではないか?初期の(ラ)ル同様、(ラ)ユは不可能の例しかなく、肯定可能が現れる前に(ラ)ルに交替されてしまう。柳田(1989)など。

  • 和恋ひ眠の寝らえぬに心なくこの州崎廻に鶴鳴くべしや(万71

[ラシの成立について]根拠のある推量を表す「らし」は、ラ変「あり」の形容詞形「あらし」(…) [ラムの成立について]ラ変「あり」に推量の「む」がついた「あらむ」に由来するもので、それぞれ語頭の「あ」が脱落したものである。(p.92)

→「アリ→アラシ・アラム」という単線的な関係ではなく、アリと共通する由来のラ行要素を想定する方がよいか。川端(1997:第6章)も参照。

[伝聞ナリの成立について、「音+アリ以外に」]もしくは「鳴る」の語幹「な」にラ変「あり」が付いて成立したものである。(pp.93-94)

→聞いたことがない説だった。古い語源説に詳しい松村編『日本語文法大辞典』にも記述がなく、何に拠っているのか不明。確かにナルのナとネは同源であろうと思われる(時代別国語大辞典上代編)が、語幹に新たにアリが付くという語形成って、他に何かあるだろうか?

副詞「うべ」(宜)を形容詞化した「うべ=し」に由来し、語頭のuが脱落したものである。(p.94)

→これが一般的な説かと思うが、これ以外に、形容詞化接尾辞に由来すると考える阪倉(1969)と、意味変化の傾向から阪倉説を支持する高山(1996)がある。

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「からに」は〈…それだけの理由で〉という、軽い原因から重い結果が生じる意の接続助詞として用いられた。(p.100)

石垣(1955)*3の「軽い原因」説に拠るかと思われるが、「軽い原因」は結果的に生じる意味であって、それが本職というわけではない(石垣もそうは主張していないと思う)。馬(2017)古川(2017)など参照。

[係り結びの成立について]このうち、連体形での結びとなる係り結びは倒置法に由来する。(p.104)

大野(1993)の倒置説。他に阪倉(1993)の挿入説、野村(1995)の二文連置説がある中で、現状は二文連置説が有力である。このことについては鴻野(2010)金水(2011)の整理が詳しい。なお、野村以前に柳田(1985)が既に二文連置説を提示しており、これが引かれてほしいと願う。

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「は」は排他的である一方、「も」は類例を暗示する働きをし、その基本義は今日まで変わりない。(p.105)

→基本義は不変であるが、、現代語のハ・モでは説明できない例もある。川端(1963, 1965)、『日本語文法大事典』「も1」(尾上圭介執筆)、小池(2022)など。

[願望の項]「しか」は「てしか」(「て」は助動詞「つ」連用形)の形で用いられることが多く、(p.106)

→そもそも上代の単独のシカの存在を認めず、よって、テシカをシカとテの複合とも見ない(テシカが先にあって、そこからテが脱落したのが単独シカだと見る)見解がある(山口1981)。上代の単独シカの例(まそ鏡見しかと思ふ・万2366)が実は存疑例であることを論ずるもので、支持されるべきであるものと思う。好きな論文の一つ。

[シカの願望の意について]助動詞「き」の未然形「しか」が順接の仮定条件法として、たとえば「見たなら(なあ)」「見たい(なあ)」というように願望の意に転じたものであろう。(p.106)

→助動詞キの未然形にシカを認める立場ということだろうか? 已然形シカ由来とする立場は、確定条件が「したらなあ」の意を獲得する点に飛躍があって認めがたい。上記山口(1981)参照。

「る・らる」が、自発・可能・受身の意に加えて、尊敬の意でも用いられるようになった。(p.165)

→この時期には、(ラ)ルに純粋な肯定可能の意は認めない方がよい(近年の整理として、吉田2013)。なお、中世の項にはしっかり、「前代までは「射られず」などのように、必ず否定表現とともに用いられて不可能の意を表したが、」とある。

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また、人間以外の無生物が主語となる、いわゆる非情の受身は、「箏の琴かき鳴らされたる、横笛のふきすまされたるは」(更級日記)というように古典語に見えている。同じく、迷惑の受身も「春は霞にたなびかれ」(古今集 一〇〇三)のようにすでに用いられていた。(p.165)

→所謂非情の受身は、古代語においては自然物に限られることの指摘がよく知られる(金水1991)。ここに「迷惑の受身」として挙がる例は「迷惑」と言えるのか微妙な例で、そもそも「迷惑」性は受身であることによって生じやすいのだから、取り立てて「迷惑の受身」というカテゴリーを立てる必要はない。

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このほか、「むず(んず)」が「む(ん)」の俗語的表現として、「べらなり」が「べし」の別語形として用いられるようになった。(p.166)

→「別語形」ではなく、ベシから派生した、れっきとした別語として認めたい。 例えば、以下の例のような比況の用法はベシには見出しにくい(中野1997など)。

  • 春のきる霞の衣ぬきをうすみ山風にこそ乱るべらなれ(古今23)

「むず(んず)」は「む」の古い連用形「み」にサ変動詞「す」が付いた「みす」から転じたものである(misu>mzu)。(p.167)

→上のミ>ムを踏まえているものと思うが、よく聞くのはムトス>ムズ説で、ミス>ムズ説はあまり聞かない。mutosu>...>muzuが不自然であるので、toの省略を想定して、musu>muzuとする説がある。吉田1962も参照。 なお、吉田(1962)によれば、ミス説は、築島「中古の文法」『日本文法講座3』明治書院*4が一説として挙げる他、鹿持雅澄説を受けた松尾捨次郎説があるという。

否定推量では、前代の「ましじ」から「し」を脱落させた「まじ」が生じた。(p.167)

→シの脱落の過程を想定しにくいので、ベシと音節数を合わせたものと見るほうがよい。(これ、最初に言い始めたのは誰なんだろう?)

願望の「まほし」が新たに生じた。これは、「む」のク語法「まく」に形容詞「欲し」が付いた「まくほし」の「く」が脱落したものであろう。(p.168)

→マクホシ>マッホシ>マホシと見る説で、これは定説だが、クの脱落について山口(1993)が疑義を呈している。

「の」が、「大君の命」「上の御前」などのような敬意の対象となる語に付くのに対して、「が」は敬意のない場合の連体格に用いられた。(p.169)

→いわゆる尊卑説。この頃の言語規範がどうであったかはさておき、少なくとも、「運用として尊卑が第一に効いているわけではない」と考える方がよい。後藤(2017, 2019)も参照。

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「とて」は格助詞「と」に接続助詞「て」が付いて生じた語で、会話などの引用、行為の目的、原因・理由などの意を表した。(p.171)

→後の例で「と言って」と「言う」が補われているが、訳としては仕方なくても、妥当な分析ではないことに注意。辻本(2014, 2016)など参照。

古代後期におけるサ行の子音は[ʃ]であり、(p.195)

斎藤(2006)によれば、(古代語と変わらないと考えられる)現代語のシは[ʃ](無声後部歯茎摩擦音)ではなく、[ɕ]歯茎硬口蓋摩擦音であるという。

濁音の子音は直前に鼻音を伴う[ng][nz][nd]であったと見られ、…

バ行音も…同じく鼻音を伴う[mb]であったことが知られる。(p.196)

→このあたり、2モーラ分で(「ング」として)表記されているが、n,m は前鼻音として示すべきであろう。

現代でも、方言ではガ行以外にも鼻濁音が広く分布しており、十七世紀の初め頃まで濁音はすべて鼻濁音であった。(p.196)

→この本の問題ではないが、「鼻濁音」と呼ぶときに軟口蓋鼻音[ŋ]と、「前鼻音性のある濁音一般」を指す場合があって、用語としては前者が一般的である(これとか)中で、本書では後者を使っていることに注意。

[係り結びの衰退について]連体形が一般化したため、連体形にかかるという係助詞の表現価値が希薄化し、書き言葉において終止形で結ばれるという用法が生じた。(p.213)

→例にはナムが挙がっているが、ナムは終止形・連体形合一以前に衰退したので(北原1982)、事例として適当ではない。カ・ヤ・ゾも終止形・連体形の合一を前提とすべきではないとする見解がある(野村2005)。*5

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[二段活用の一段化について、]この対立は母音の違いというよりも末尾の《:r(u、e)》、すなわち「ルレがない形」と「ルレがある形」という対立と認識することもできる。(p.215)

二段活用の一段化は十二世紀以降徐々に広まっていき、十八世紀の中ごろに一段活用に統一された。

→この説明を中世の一段化例に適用する場合、上代の一段化(wu>wiru)を説明することができない。12Cに始まって18Cに終わる変化という、長い長い変化も想定し難い。青木(2016)など参照。

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[助動詞タシについて]この語源は形容詞「いたし」と考えられ、その萌芽はすでに奈良時代に見える。(p.229)

→ここで上代の「ふりたき」(万965)を引くが、これは「めちゃ振る」の意でしかないので助動詞タシの例としては採らない方がよい。小林(1957)

[格助詞ガの用法について]院政時代には連体接続の主格を表すようになった。 一方、連体接続は、院政時代以後、主格を表す働きが次第に弱まり、文章を下に続けるという接続の働きが強くなった。(p.229)

→この箇所、主旨が読めない。前者は準体句を主格に取る場合を指すものであるが、所謂「従属節の属格主語」自体は上代から一貫してあるのではないか?(竹内2020など)

同時動作の意では、「つつ」が次第に衰え、「ながら」が用いられるようになった。(p.232)

→同時動作のナガラは中古からあって、この頃から用いられるのは逆接の用法である。小林(1982)など。

終助詞では、願望表現に「ばや」はそのまま用いられたが、「もがも」「なむ」「てしが」「にしが」などは口語で次第に衰退し、新たに生じた助動詞「たし(たい)」に取って代わられた。(p.235)

→モガモ以降、中古にはモガナがメインになることは、記述としてあってよいが、シカ系は中古に既に固定的になり、タシ系が定着するのは中世前期であるから、この箇所はおかしい。終助詞系列(モガ系etc…>バヤ)と助動詞系列(マホシ>タシ)の2系列で考えるべき問題か(北﨑2020)。 なお、ここに挙がるナムはそもそも他者への希求であって、願望とはそもそも領域が異なる(濱田1948など)ので、記述として適切ではない。

他方、漢籍などの漢文を日本語でわかりやすく解説した書も求められるようになり、そのような注釈の講義を筆記した「抄物」が作られた。(p.239)

→「解説した書が求められる」ことは、抄物成立の必須要件ではないと思う。

[可能動詞の成立について]こうして、受身・自発という意から、さらに用法を広げていくと、可能の意が派生するのは自然の成り行きである。(p.273)

→このあたり、四段>下二段という過程は妥当であるが、ここでの挙例(なぜか万葉集三宝絵が挙がる)、説明ともに不適切。受身・自発>可能ではなく、自動詞化から統一的に説明されるべき現象である。ここに挙がる例が室町の例でないのはよく分からない。青木(1995)、三宅(2018a, 2018b)など参照。

  • 中テアラウスカ此テ中トハヨメヌソ(史記抄)

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」(土佐日記)とあるように、すでに「てみる」という形が用いられていたが、(p.275)

→このテミルが現代のVテミルと同義であるかは自明でなく、「して+見む」かもしれない。ただ、定家本には「してこころみむとて」とあるので、中世には既に試行を表していた蓋然性は高い(嶋田2009)。

[形容詞の音便について]連用形も「―う」となっていて、中止法でも同じ形が用いられている。(p.277)

→形容詞の音便は中世前期に既に見られる現象である(坪井1997)。

音便は、十六世紀末には音便を起こさない形(非音便形)よりも音便形の方が普通の言い方となっていた。(p.279)

として、バ・マ行四段のウ音便(読うで)、サ行四段のイ音便(差いて)が挙がる。これらが一般的でなくなることについて、もう言及がほしい(奥村1968など)。なお、方言のサ行イ音便については坂喜(2019)がある。

[準体助詞ノの成立について]〈…のもの、…のこと〉の意から形式名詞の用法が生じたと見られるが、述語を体言化する場合に、連体形に「の」が付くようになるのは準体句の再生でもある。(p.281)

→この箇所、「再生」の意味するところがよく分からない。

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使役の「する」「さする」(古典語「す」「さす」)は使役のほか、放任の意でも用いられた。(p.283)

→これが所謂「許容」を指すのであれば、既に中世前期にあると見てよい。

  • 我に暫時の暇を得させよ。(高野本平家・小田2015:115)

[マイの成立について]この「まじい」 は「じ」 を 脱落させて「まい」という形に変化 し た。(p.286)

→マジイ→マイとするのは、ジの脱落過程を説明できないので、大塚(1962)の、マジイ・ベイ混交説を採るのがよい(好き論文)。なお、この後に「マジイが丁寧」である旨あるが、これはマジイがそういった機能を持っているというよりは、古態であることによるのだと思う。

過去を表す「た」は前代に「たり」の連体形「たる」を経て成立していたが、この「た」が状態継続の意も表すようになった。(p.287)

→これは順序が逆で、タル(完了)→タ(完了)→タ(過去)と見るのがよい。福嶋(2002)など参照。

  • 先陣が、「橋をひいたぞ、あやまちすな。橋をひいたぞ、あやまちすな」とどよみけれども(高野本平家・橋合戦
  • あのみみのきつとしたは、其まま女共が耳にに、「又あの目のくるりとしたもによ(虎明本・鬼瓦

[ナンダの成立について]おそらく「ぬあった」が「なった」を経て「なんだ」に変化したものであろう。(p.290)

→近年でも京(2003)などが採る説だが、nuatta>natta>naɴdaが説明されないという致命的な問題がある。延慶本のナムシの例を以て、東国語のnaf系との関係を考え黒木(2018))がある。 なお、京(2003)は日国の「「ぬあった」からの変化とみるのが最も妥当かと思われるが、「「なった」という促音形から「なんだ」という撥音形に転じるのは、音韻変化としては不自然である。」を引きながら、「ここに指摘されるように「なんだ」の有する〈否定+過去〉という意味からすると、〈「ぬ」+{「あり」+「た(り)」}〉という語構成を想定したほうがよさそうに思われる」とする点、不審である。

否定の過去形「ざった」は「ずあった」の転であるから、先に述べた「なんだ」が「ぬあった」の転である可能性が高い。(p.291)

→上を踏まえると、ここは演繹的であって説明にならない。

主格を表す「が」は、それまでは活⽤語の連体形に接続するだけであったが、⼗五世紀に⼊ると、名詞に接続する主格の⽤法が出現した。(p.291)

として史記抄の例が挙がるが、これは中世前期にも既に例がある。

  • わらすぢ一すぢが、柑子三つになりたりつ。(古本説話集)

この時代に〈ので・から〉の意を表す、[によって・ほどになどの]右のような多様な言い方が生じたことから、「已然形+ば」による確定条件の用法が衰退していった。(p.293)

→これは順序が逆で、未然形・已然形と仮定・既定との結びつきが弱くなったことが前提として置かれる方がよい。矢島(2013)参照。

助動詞「なり」「たり」の未然形に接続助詞「ば」が付いた「ならば」「たらば」が多用された。(p.294)

→「多用」はその時期をどこに置くかによるが、中世前期から既にナラバが一般的であったことは示されてもよいと思う。小林(1979)など。

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この「ならば」「たらば」の「ば」を脱落させた接続助詞「なら」「たら」もこの時期に現れている(已然形に由来する「なれば」「たれば」の由来とする説もある)。(p.294)

→表層としてのナラ・タラのみを問題とするならば、ナラバ・ナレバ/タラバ・タレバのどちらかではなく、両方を由来とするのが妥当か。矢島(2013)も参照。

係助詞「は」が形容詞連用形相当に付いて「くは」、否定の助動詞に付いて「ずは」の形で仮定条件を表す場合、(p.297-298)

→機能としては未然形相当とみなすほうがよい。小田(2015:267-268)に詳しい。

[終助詞の項]「い」も念を押す意で、多く命令文に付けて用いられた。(p.297)

→例として挙がる「言はい」は、 -(s)ai であり、形態的な認定として「命令文に付けて」はおかしい(金田1971も参照)。この後に「命令形だけでなく、未然形・連用形などにも接続している」とあるが、-aイと、例えば「くだされい」の命令形語尾は別の形式である。前者については蜂谷(1976)、後者については坂梨(1975)など。

この時代になると、実質的な意味を表す語を含む連語が助詞や助動詞のような付属語的な働きをするもの(これを、以下「複合辞」と呼ぶ)が多く⾒られるようになる。(p.299)

として、「において」が挙がるが、これは漢文訓読文由来であって当期初出ではない。また、「ところで」「ところに」を複合辞として認定するならば、例えば、前に挙がっていた「ほどに」もここに入ってしまう。古代語にすでに複合辞と認めるべきものが一定数認められることについては、小田(2018)の整理を参照。

遮莫(さもあればあれ)(p.311)

→さもあらばあれの誤字。

「ますだろう」…「ませなんだ」…(p.339)

など、マスの接続し得る形式についての記述があるが、ここまでくると、敬語は語彙の方で書く項目ではないように思う。

ただし、場⾯・⾝分・性別・語の⻑さなどによって⼀段化の度合が異なっていたようで、たとえば、武⼠のことばでは次のように⼆段活⽤が⽤いられている。(p.349)

→この他、活用形・活用型、動詞・助動詞などの品詞の差も効くことが指摘されている。坂梨(1970)参照。ただし、坂梨(1970)の示す位相差のうち、性差の問題は再検討されるべきであると思う(本当に性が主要因なのかどうか、怪しい)。

⼀⽅、関東の⽅⾔では、⼆段活⽤の⼀段化はより早かったようで、後期の江⼾語では⼀段活⽤がふつうに⽤いられている。(p.349)

→上方語であっても後期であれば一段活用は普通であるから(実際は少し進行が遅いようだが)、この示し方はおかしい。

ナ⾏変格活⽤は、上⽅では後期になっても⼗⼋世紀末までは依然として⽤いられていて、四段活⽤が⼀般化したのは幕末前後ごろと⾒られている。他⽅、江⼾語では後期になると、四段活⽤がふつうに⽤いられた。(p.350)

→「死ぬ」の五段「化」については、山内(2002)の、「東国の四段活用一般化説」がある。

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形容動詞では、終⽌形活⽤語尾の「ぢゃ」が江⼾語で「だ」となった。(p.351)

→dja>da ではなく、dea>dja(上方) と dea>da(江戸)の2つのルートを想定すべきではないか?dja>daを許してしまうと、上方でdjaが安定した理由がわからなくなってしまう。

「⾒う」はミュー[myuː]を経て、…(p.352)

→一冊の中でヤ行音の表記にjとyが混在している。なお、この後に虎明本の「某もただ是にいよう」の例を引いているが、虎明本は室町の例としても引いており、立場に揺れがある。

当初は、終⽌(連体)形「だ」、連⽤形「で」しか活⽤がなかったが、次第に未然形に「だろ」、連⽤形に「だっ」というように活⽤を整えていった。また、「なり」の系統から、連体形(終⽌形)に「な」、仮定形に「なら」が⽤いられた。(p.356)

→この箇所、ダ・ナが学校文法の勉強をして、学校文法に従って発達したということだろうか? 茶化しているわけではなく、古代の活用の記述では学校文法に則らない記述をしているのだから、そこの記述姿勢は一貫しているべきではないか?

仮定形に「なら」が用いられた。
男なら持て見や。(浮世風呂 前・上)(p.356)

→この例は已然形>仮定形系列のナラではなく、ナラバ>ナラであろう。

「…しないでください」「…しないでほしい」のように補助⽤⾔に続く場合に「なくて」では置き換えられないのは、形容詞型活⽤の類推によって⽣じた「なくて」よりも古くに定着した⾔い⽅だからである(p.358)

→仮にそれが理由なのであれば、そもそも機能の狭いナクテなど成立しなくてよかったはずである。 難しい問題だが、ナイデのコンタミの元のイデの機能と、形容詞テの機能の側から説明するのがよいと思う。田中(2010)など参照。

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⼀説に、「たれば→たりゃ→たら」の転とも⾔われている。(p.361)

→上述の通り、両方を由来としたい(矢島2013)。

「ので」と「から」が理由を表す用法として、どちらも用いられている場面もある。
ちふとは「といふ」といふ詞を詰めたので、古い詞だから、頼もしいとお云だよ。(浮世風呂)(p.362)

→この頃にノデがあること自体には問題がない(原口1971)が、このノデの例は「つめた言葉で」の意であり、原因を表すノデではない(少なくとも、両用に解釈できない例が欲しい)。

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「…だろうが…だろうが」「…だろうが…まいが」の形で仮定の逆接条件を表す用法も生じた。(p.364)

浮世風呂の例が引かれるが、逆接仮定条件のガは近世前期に既に例がある(北﨑2019)。

  • 胸一つ据ゑたらば、源五兵衛殿でござらうが業平殿でござらうが、恋の絆に繋ぎ留め物の見事に添うてみしよ(薩摩歌

同時動作の意では「つつ」に代わって「ながら」が一般的に用いられるようになった。(p.365)

→上の「ながら」の指摘参照。この時代に同じことが出てきて記述の一貫性を欠く。

単純接続を表す「し」は「船は少し、浪⾵ははげしかりけり」(延慶本平家物語 四)のような、形容詞終⽌形の接続⽤法に基づいて、終⽌形語尾「し」が遊離して⽣じた。(p.365)

として、好色伝授の「乗らうし」を挙げるが、マイ+シの例が最も早いので、室町の項にある方がよいと思う。鈴木(1990)参照。

  • 路次すがら付合をして、付たらば松を取まいし、ゑ付ずは枩をとらふ(虎明本・富士松

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「ぞ」は前代までは体⾔に付くだけであったが、⽤⾔および「だ・です」にも接続するようになり、聞き⼿に強く働きかける意を表した。(p.)

として、夕霧七年忌の「どうぢゃぞ」を挙げるが、ヂャゾも前代に既にある。

  • 長兵衛の判官と言う者ぢゃぞ(gia zo),近う寄って過ちすな(天草平家2-2

「かしらぬ(ん)」が疑いの気持ちを表す意として⽣じ、明治以降には「かしら」に転じた。(p.369)

として、浮世風呂の「何かしらん竹の皮へ買て来ての」を挙げるが、「疑い」でなく不定項の例示(=何かしら)である点で例として適当でなく、不定のカシラであれば、『八笑人』に既に「何かしらちっとは能の有る物だ」の例がある。堀崎(1995), 播磨(1998)参照。

この「さ」は格助詞「と」に付いた「とさ」は、引⽤・伝聞の意を表した。(p.370)

→これは、サがそうした機能を持っているわけではなく、トのせいで引用・伝聞の意を表しているだけではないか。例えば、「あいつ、部活やめたとよ」について同じように、「よ」が「引用・伝聞の意を表した」とは考えないように。

「な」から転じた「のう」(p.370)

の項に、「さうよのう」が「文中」の例として挙がるが、普通に文末として見るべきであろう。

複合辞の発達(pp.371-372)の項、「ものだ」、接続部の「あげく」、「くせに」などは近世が初例ではない。 「からには」については、「からは」が既に近世前期にあるのでそちらを挙げるべきであろう。なお、カラとカラニ・カラハに直接的な関係のないことについては、吉川(1955)を参照。

ズとヅは区別があることから、このような方言を「三つ仮名弁」と呼んでいる。(略)四つ仮名すべてが区別を失った方言を「一つ仮名弁」という。(p.393)

記述として誤りがあるわけではないが、呼称は本質的な問題ではなく、それが歴史的にどう位置づけられるかという点を述べるべきだろう。高山(1993)なども参照。

⼀字漢語動詞は「感じる」「信じる」というように、前代で「─ずる」から「─じる」へと⼀段化していたが、明治に⼊ると、さらに五 段活⽤となる例も⽣じた。(p.416)

例示されるのは「愛さない」の例だが、「信ざない」「感ざない」とはならないのだから、「さらに」とするのは雑であろう。漢語サ変の変異については田野村(2001)松田(2012)など参照。

[形容動詞の連体修飾について]「さまざまな意⾒」「さまざまの意⾒」、「かなりな家柄」「かなりの家柄」など、いずれの形でも⽤いられる場合がある。(p.417)

→この問題、小木曽(2008)永澤(2011)が経年変化をまとめていて面白い。

⼀⽅、形容詞型活⽤は少し前には「ナウい」があり、最近では「きもい」「エロい」などもあるが、俗語的な⾔い⽅でわずかに命脈を保っているようである。(p.418)

→中古に既に「鬼し」などがあるので、この造語法自体が新しいものではないことに注意したい。

[所謂ら抜きについて]「⾒れる」「⾷べれる」は五段活⽤から可能動詞への派⽣を⼀般化したという側⾯がある。(p.418)

→定説だが、これが地域ごとの発達の差を説明できないことについて、近年、三宅(2019, 2022)がある*6

「から」は…後ろに「だ」が付くこともあった。(p.421)

として浮雲の「不甲斐ないからだ」が挙がる。分裂文で使われるカラはおそらく、「からのことだ」が早く、その後に「からだ」が発生したと思しい(直接の派生関係にあるのかは分からない)。湯澤(1954)上野(2005)参照。

*1:そもそも2010年の『はじめて読む日本語の歴史』ベレ出版とほぼ同じであることは措いとく。

*2:この「V4」「V4R」などの記法は『日本語史概説』(朝倉書店)などで度々見られるのだが、説明として機能していないと思う。

*3:読める!

*4:読める!

*5:なお、この前の箇所の終止形・連体形の合一については、意味論的・統語論的な問題(いわゆる「叙情・解説」と連体形終止の問題)と形態論的な問題(例えば坪井の「形態の示差性」)は別個に分けて考えるべきであろうと思う。が、特に私見はない。

*6:よく言われがちな「ら抜きだけの形態があることで、用法上の違いが明示できる」のは結果的にそうであったというだけで、成立の要因を説明しないと思う(『やさしい言語学』研究社 冒頭にもそんな記述あり)。文脈的に考えて受身・尊敬と可能を間違えることってほとんどなくない?頻度を考えたら、少なくとも尊敬との異化は新たな形態を生み出すほどの動力には成り得ないのでは…。