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永田里美(2000.8)「勧誘表現「~マイカ」の衰退:狂言台本を資料として」『筑波日本語研究』5
要点
- 虎明本には勧誘表現Vマイカがあるが、虎寛本ではVウデハアルマイカが該当し、Vマイカは見られない
- そへ発句をせまひか > 此に添発句をせうでは有るまいか
- このことを踏まえ、マイカの衰退とウの優勢化の関連について考える
- マイの史的変遷を考えるだけでは不十分で、マイカの持つモダリティとしての機能を考えなければならない
- マイカには以下の2種があり、
- 否定意志の有様を問いかけるタイプ
- 否定疑問が働きかけとして機能するタイプ
- 後者は、「意志+否定」と、「否定疑問による聞き手への働きかけ」が複合している
- 一方で、ウ(・マイ)単独による勧誘は、自己の意思表明などの「表出性」が1,2人称に用いられることによるものと考える
- この後、マイカよりもウデハナイカ・ウカが優勢になるが、これは「意志」と「聞き手への働きかけ」を分析化させたものであると見なすことができる
雑記
- 首は回らなくなり、目も充血している
- またしばらく休みます
中川祐治(2006.4)副詞はどう変化するのか:日本語史から探る副詞の諸相
中川祐治(2006.4)「副詞はどう変化するのか:日本語史から探る副詞の諸相」『日本語学』25(5)
要点
- 文法化の枠組みで、副詞の変化の実態とメカニズムについて考える
- 1 イタク・イト
- イタもしくは形容詞イタシから派生した語で、
- イタク・イト(甲)は原義「痛」との結びつきが強くマイナスのニュアンスがあるが、イト(乙)は中立的で、程度の甚だしさを表すのみで、漂白化の一例であると言える(cf. カマヘテ)
- 2 サナガラ
- あるものXがそのままの状態Yであると結びつける(すっかりそのまま)のが原義であるが、
- 鎌倉以降には現実の事象レベルを越えた結びつき(さながら夢になりにけり)を持ち、
- この「2つの概念感の類似性を認める」ことが比況の意味に繋がる
- 3 イカニモは、後に応答詞の機能を持つようになる(主観化の事例)
- 4 ツユは、名詞「露」を出自として、メタファー的拡張によって意味的変化(わずかである/少しも~ない)を起こした例
- なお、副詞の発達と係り結びの衰退には関連がある
- まいりたるこそ神妙なれ(平家)/参ったることはまことに神妙な儀ぢゃ(天草平家)
- 「係り結びの包括的、複合的な機能の一部を副詞表現の発達が補っていったことを示すものである」
雑記
- 働きたくない!
幸松英恵(2015.2)〈事情推量〉を表さないノダロウ:準体助詞ノを含む推量形式に見られる2種
幸松英恵(2015.2)「〈事情推量〉を表さないノダロウ:準体助詞ノを含む推量形式に見られる2種」『学習院大学国際研究教育機構研究年報』1
要点
- ノダロウはこれまで〈事情推量〉を中心として論じられてきたが、そうでない、ダロウと可換ノダロウがある
- (彼女は今、)寝巻のまま受話器を握りしめているのだろう
- こうした、事情推量を表さないノダロウは、
- 所与の事情を推量しているのではないという点でダロウと共通するが、
- 既に定まったこととして推量する点ではダロウと異なる
- ダロウ・ノダロウには時制上の偏りがあり、
- ダロウは現在・未来の推量に偏り、
- 事情推量を表す通常のノダロウは現在・過去に偏り、
- 事情推量を表さないノダロウは、ダロウ同様、現在・未来の推量に偏る(すなわち、形式ではなく、意味に起因する差異である)
- この、事情推量を表さないノダロウを、既定事態推量のノダロウとするとき、この2者の関係をどのように考えるべきだろうか?
- ノダ・ノダロウの歴史を概観すると、ノダの定着に伴い、ノダロウにノ+ダロウ→ノダロウ(事情推量)という推移が観察され(鶴橋2013)、これはいずれも主題-解説という構造を取り続けているものの、
- 本稿で扱った既定事態推量のノダロウにはこの題述恒常が見られない
雑記
- ミュウツーの逆襲、いつ見てもいいね…
塚本泰造(2006.3)馬琴の文語に見られる「から(に)」が意味するもの:「から」をめぐる言説とその影響
塚本泰造(2006.3)「馬琴の文語に見られる「から(に)」が意味するもの:「から」をめぐる言説とその影響」『国語国文学研究』41
要点
- 馬琴の文語に見られるカラについて考える
- こは交易の為に渡海せし、日本人よと思ふから、貯もてる薬なんどの、ありもやすると立よりて御身が懐をかい探るに、(椿説弓張月)
- この現象は、カラ周辺の語群や言説を踏まえると、直接的な俗語の混入とは考えられない
- 馬琴のカラニは、「後件に通常・尋常ではない状態・事態があり、なぜそれが生じたのかを前件に位置させて、この二つを結びつける」ものが多い
- このカラは結局「ひとよのからに」に収斂して衰退する
雑記
- おしまい
*1:「曖昧さを保ったままであれば、新しい表現欲求もその担う形を確かにつかむことができない」(p.9)とあるけど、ソガママが継起を表すなら、因果の側に(一般的なバ・ユエニが持たない特別な領域を担うものとしての)カラが残ってもよいのでは?
塚本泰造(2003.3)真淵・宣長の擬古文の作為性:富士谷成章の和文とその「から」「からに」観との比較を通して
塚本泰造(2003.3)「真淵・宣長の擬古文の作為性:富士谷成章の和文とその「から」「からに」観との比較を通して」『国語国文学研究』38
要点
- 宣長のカラは原因・理由を批判的に強調し(塚本2001)、真淵のカラニ・カラハも同様の機能を持つ(塚本2002)
- この改変は意図的になされたものと考えられるが、成章の和文と比べるとどうだろうか
- 成章の和文においては、真淵や宣長のような逸脱したカラ・カラニは見られず、伝統的なバ・ユヱニ・ヨリで統一される
- あゆひ抄のカラはヨリ家に位置付けられるが、口語訳はヨリハヤなどが当てられており、因果を担うものではない
- カラニからニを省いてよい理由を考える
- まとめ、
雑記
- 11月が半分終わってて怖い
塚本泰造(2001.4)本居宣長の著述(擬古文)に見られる「から」について
塚本泰造(2001.4)「本居宣長の著述(擬古文)に見られる「から」について」迫野虔徳(編)『筑紫語学論叢』風間書房
要点
- いわゆる分析的傾向の流れの中で、その表現欲求を満たそうとするとき、擬古文は、和文という古い「コマ」を使うしかないので、その用法に変化が見られるはずである
- この観点から、宣長の著述における接続助詞的なカラの分析を行う
- 宣長のカラの性質、
- カラが繋ぐ因果は、学問的批判・道徳的批判など、「現在のある事態・結果を不自然と判断した場合、それに対する批判・説明の表現に集中する」
- 「故に」にも同様の例が見られるものの、批判的な内容は、カラの承ける叙述内容に偏る
- カラニにも同様の例があり、宣長のカラはおそらくカラニに由来すると考えられる
- モノカラをもとに、カラニからカラを析出したと見る
- ニを省いてよいと考えた理由はよく分からないが、体言カラ(心カラ)があることが一因か
- 以上の宣長のカラの使用(批判的な強調)を支えるのは学問的な確信であり、
- このような因果関係の思考の営みにおいて(のみ)、擬古文に日本語の表現の流れを示すような現象が見られるのではないか
雑記
- 勉強って続かないね