久保薗愛(2016.10)「鹿児島方言における過去否定形式の歴史」『日本語の研究』12-4
要点
- 鹿児島方言の過去否定形式に関して、主にロシア資料に基づき、以下3点を示す
- 鹿児島方言の過去否定形式がヂャッタからンジャッタへと移行したこと
- 過去否定形式が分析的な形式へと移行すること
- ヂャッタが否定の連用中止デ+アッタに由来すること
使用資料
- ロシア資料
- 1729年にロシアに漂着した薩摩の少年ゴンザ、ロシア人ボグダーノフによる日露対訳資料
- 言語形成器を江戸末期とする岩山トク氏(安政3[1856]生)の談話資料
- それ以降の談話資料
過去否定形式
- ロシア資料には未然形+ジャッタが見られる
- ロシア語文:ннѢ мнѢ не возможно было,(今,私には不可能だった)
- →ゴンザ訳:йма оре суркотга нараджатта,(今 俺 することが ならぢゃった)
- ロシア語文:Анд:не хотѢла мене мать скоряе ѿпустить ради жестокого морозу и великаго дождя.(アンドレイ:母は,激しい寒さと大雨のために,(私を学校に)行かせることを欲しなかった。)
- →ゴンザ訳:Анд:урсаеджатта ойво фафан фаю кицка шимодже уамѢдже.(アンドレイ:許されぢゃった 俺を 母の 早う きつか 霜で 大雨で)
- 否定辞неを含み、動詞が中性形過去-лo,女性形過去-лаであることから、過去否定形式であることを示している
- 19世紀以降、ンジャッタが見られるようになる
- オーカタ ウチナ アンマイ イラッシャランジャッタ
- 現代鹿児島方言の記述に、ジャッタ→ンジャッタへの移行が生じていることを示すものがある
- 「壱岐の老には,「~ジャッタ」「~ッタ」があり,少には「~ンダッタ」,「~ンジャッタ」,「~ヤッタ」が見られる。」
- 否定とテンスを分析的に表す方向へ進んでいるものと認められる
- 融合型:ジャッタ全体で否定と過去テンス
- 分析型:否定ン+過去ジャッタ
「分析型」化
- 同様の変化が他形式にも見られる
- 否定意志・推量
- ロシア語文:Дїо:понеже толь охотна тя вижду, ни чтоже прндъ тобою утаю, но вся тебѢ обьявлю.
- ディオニソス:そうならば進んであなたを見習おう,あなたの前に何も隠すまい,すべてあなたに知らせよう
- ゴンザ訳:Дїо:сойджем икень конатаво фошкат мир, наньджаи конатан мае какусме, сую конате ширашу.
- ディオニソス:それでも 如何に こなたを 欲しかと 見る,何にであれ こなたの 前 カクスメ(隠すまい) 惣様 こなたに 知らせう
- 1949生・否定推量:アシタ アンタ シゴテナ イカンメダイ(明日あいつは仕事には行かないだろう)
- 1949生・否定意志:否定意志:オヤ モ アヒケナ シゴテナ イカンメ(俺はもうあそこには仕事には行くまい)
- 否定意志・推量を表すメが現代ではンを伴うようになっている
- ロシア語文:Дїо:понеже толь охотна тя вижду, ни чтоже прндъ тобою утаю, но вся тебѢ обьявлю.
- 否定の連用形中止も同様
- шеджена(シェヂェナ:せでな)→ GAJでは [ikanʤi],[ikandzi],[ikanzi]
- 形態上の類似点を持たないン・ヂャッタ・メを保持するよりも、否定をンに統合し、それ以外の要素を組み合わせる方が、機能負担も軽減される
ヂャッタの出自
- 大西(1999)*1がジャッタ・ダッタ・ザッタが打消ザリ+タ由来であるとするなど、ズを出自とするものが多いが、受け入れがたい
- джатта(ヂャッタ)のдは[d],жは[ʒ]だが、18世紀当時もそうであったことが推定される
- 日本語音の場合、
- дамаччоречь(黙っちょれと):дはダ行音相当
- жа(ジャ(蛇)):жは口蓋性を持つザ行子音
- фоннокоджа(本のこ(と)ぢゃ)/мѣдже(メヂェ(目で))/оджиръ(怖ぢる) ー 否定の接続助詞デに類する形式+アリがджаттаの出自か
- ズアッタからはザッタが生じてもジャッタは生じず、むしろ、ジャッタが直音化してザッタとなった可能性が支持される
- 九州方言は過去否定形式がコピュラとよく対応することが知られており、これも、コピュラ過去形と過去否定形式が本来デアッタだったからこそか
- 過去否定がダッタの地域はコピュラ過去形もダッタ、ジャッタの地域はジャッタ、ヤッタの地域はヤッタ
気になること
- 接続助詞デ由来と考えるとき、ンの付加にはニテ→デの前鼻音(ン)デが関わっていたりしないかな?とも思ったが、メに関してもンメになるなら違うのかな
- 中央語で「分析的」と言うときは、ケム→タ+ダロウ、マイ→ナイ+ダロウのようなA=B+Cだが、ヂャッタ→ンヂャッタ、メ→ンメはンがプラスされるだけならもともとのヂャッタやメが持ってた否定の意味は異分析されてしまったのか?
雑記
- ボルシチ作ってみたいな→レシピ見る→ビーツ……?の流れで1つの様式だと思う
*1:大西拓一郎(1999)「新しい方言と古い方言の全国分布 ナンダ・ナカッタなど打消過去の表現をめぐって」『日本語学』18-13