岡部嘉幸(2003.4)ハズダとニチガイナイについて:両者の置き換えの可否を中心に
岡部嘉幸(2003.4)「ハズダとニチガイナイについて:両者の置き換えの可否を中心に」『日本語科学』13
要点
- ハズダ・ニチガイナイの置き換えの可否を「判断の根拠の確かさ」に求める(ハズダは確か、ニチガイナイは不確か)ことがある(三宅1993)が、問題がある
- 少し熱がある。私は風邪を引いたニチガイナイ/?ハズダ
- 彼はパーティ好きだから、明日のパーティに出席するニチガイナイ/ハズダ
- この2者に、根拠の確かさの程度差はないだろう
- ハズダ・ニチガイナイを同一類型のものとしてではなく、たまたま用法が一致するものと見て、条件記述を考えたい
- ハズダの基本的意味を「事態を理屈の上で成り立つ事態として語る」と考える
- Aタイプ:現実でも成り立つかどうかを問題する
- Bタイプ:現実でも成り立つかどうかは問題としない
- ニチガイナイには大きく2つの用法がある
- 事態が最も適当であると主張する用法(あのうずくまっている人はお腹が痛いにちがいない)、これはノダ文が可能
- 状況からの帰結として、事態が最も適当であると主張する用法(昨日はとても忙しかったから、今日彼は疲れているにちがいない)、こちらはノダ文不可
- 「ある状況の解釈、あるいはある状況からの帰結として当該事態が最も適当であるということを主張する」と規定すると、
- 「事態=状況」「事態→状況」という時間的関係の場合に前者の用法、「状況→事態」という時間的関係の場合には後者の用法になる
- 以上より、ハズダとニチガイナイの置換の可否を考えると、
- ①事態が現実に成り立つかどうかを問題とする、②現実に成り立っているかどうかを未確認、③状況→事態という先後関係がある 場合にのみ、置き換えが可能になる
- 事態の正当性を主張するハズダ(いやいや、クジラは哺乳動物のハズダ)のほか、理屈上の事態成立、さとり(どうりで)、予定、記憶(八王子に住んでいたはずです)はニチガイナイに不可換で、
- 相手の主張の容認(確かにあなたも疲れているにちがいない、でも、~)、解釈の適当さ(風邪を引いたにちがいない)はハズダに不可換
- あえてこの両者を同一の意味類型に所属させる必要はない
- ①事態が現実に成り立つかどうかを問題とする、②現実に成り立っているかどうかを未確認、③状況→事態という先後関係がある 場合にのみ、置き換えが可能になる
雑記
- 「語られた事態」が自然に出てくると尾上イズムを感じる人々