野村剛史(2013.10)「通時態から共時態へ」『日本語学』32(12).
要点
- ソシュールの「共時態の記述に通時態を持ち込んではならない」という立場は、受け入れ難く、共時態記述には通時的研究が不可欠であることを主張する。
- 以下、ノダ文を例に、共時態と通時態の関係を考える。
- ノダ文に対する立場3説、
- 「中心」があるとする説(山口・田野村)
- 「本質」があるとする説(名嶋)
- 中心や本質を設定できないとする説(野村)
- ノダの用法は家族的類似に過ぎず、①事情・②発見・③命令・④決意・⑤強調のうち、①②はまとめて、③④は別立てに考えるほうがよい。
- このとき、「「Bさんが使ったから」Aはあるノダの使い方をした」場合があれば、Aの共時態には過去の閲歴が含まれるし、「結果なのは事情のだ。」から「結果。事情のだ。」への拡張という説明そのものが、時間的経緯を持ち込んでいるものである。
- 命令・決意のノダには以下の2通りの説明があり得るか、その妥当性については通時態が決定する。
- 動作性喚体句(突撃。)から展開したNダに基づく、「とっとと歩くのだ」への展開
- 一般論を述べる事情文「アイスクリームは食後に食べるのだ」からの展開
雑記
- 後期始まってきつくなってきた、適度な運動してこれ以外に別の勉強もするの、無理や