近藤泰弘(1980)構文上より見た係助詞「なむ」:「なむ」と「ぞ――や」との比較
近藤泰弘(1980)「構文上より見た係助詞「なむ」:「なむ」と「ぞ――や」との比較」『国語と国文学』56(12).*1
要点
- ナムを中心に係助詞の「強調」の内実について考える
- 阪倉のナムの「卓立(prominence)の強調」*2という指摘は、以下の3点によって妥当であることが確認できる(この考え方は詞玉緒に遡る)
- ①文解釈上、矛盾しない
- ②1文中に1回のみ出現する(例外は少数)
- ③相互に承接しない
- ゾ・ナムの異なりを構文的に比較すると、
- ナムが和歌に現れないと同様、ゾはゾ―ヤの場合だけ和歌に現れない*3
- ゾ―ヤが使われないのは、「「ぞ」による「卓立の強調」と「や」とがあわせて用いられる時に、特に「や」の持つ「聞き手への呼びかけ」的な性格がきわだたせられる」ことによる
- 上の理由により(ナムに「ヤ」性があることにより)、ナムの結びにヤは来ない
- ナムが和歌に現れないと同様、ゾはゾ―ヤの場合だけ和歌に現れない*3
- なお、バナム、バコソが自由にあるのに対し、バゾはほぼなく、ゾも「ただ「卓立」の強調だけの無色の助詞であるとは言えない」
雑記
- 学生は論文集の類にとにかくアクセスしなくなっているし、こっちは論文集までちゃんと見ろという指導をするのではなくて(短期的にはそうするしかないけど)、学界としてアクセシビリティが健全であることを目指したほうがいい