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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

矢島正浩(2018.3)タラ節の用法変化

矢島正浩(2018.3)「タラ節の用法変化」『国語国文学報(愛知教育大学)』76

この論文とセット

hjl.hatenablog.com

要点

  • 「ナラバ節史に対して、タラ節はどのような歴史を描くのか」がテーマ
    • 同じく、タラ用法・ナラ用法の別で見ていく
      • タラ用法:前件と後件が継起的関係にあることを表す
      • ナラ用法:事柄が事実として成り立つことを仮定し、後件に話者が成立可能性を見積もる事態が続く

分析の観点として

  • タラ節(前件)の出来事が、いつ成立することとして描かれているか、を見る
    • 風が吹いたらドアが閉まるだろう(未来)
    • 風が吹いたらドアが閉まった(過去)
  • 継起性の有無を見る
    • 古代語のタラ節には継起性がないものがある

未然形+バの仮定節について

  • 中世後期以降、タラバ・セバ・テバ・ナバ・ラバがタラバへ一本化
    • タリガキ・ツ・ヌを駆逐していくことの反映
    • セバ・テバ・ナバはいずれも助動詞の性質が反映される形で使われる、タリも同様の使用状況を想定

タラ節の用法

  • 上代はよくわからない(例がないので)
  • 中古はタラ・ナラの区別がなく、中世前期も同様
    • 法師になりたらば、さてなむあるとも聞えなむ。(大和、後件→前件の例)
    • タラはパーフェクトの「ある状態の存続」を、未然+バによって、「非実現であることが実現する」と仮定するものであるために、継起性とは異質な表現性も持ち得る
  • 中世後期にはタラバへの一本化、ナラ用法が減少し、タラ用法の性質を明確にしていく
    • テンスらしくなっていくところは、「粗相があつたらばこなさまよいようにいふて下され」(好色伝授)のような例からも読み取れる
  • 近世後期には、タレバ>タリャ>タラと変化することで、タラに合流する
    • 仮定・確定に関係ない継起性を表すことができるようになる
    • 現在・過去(ナラ用法)に関してもタラで表せる
  • 対して、近世中期までの「この様に思ひつめさつしやりましたらば(そんなに思いつめているのなら)」*1のような、事実の成立を焦点とするもの(古代語タリの本質が維持されるもの)は表せなくなる

ナラバと併せてまとめ

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矢島(2017:127)

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矢島(2017:133)

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矢島(2018:29)

気になること

  • タラ用法と現代語タラ、ナラ用法と現代語ナラが必ずしも一対一で対応しない(反事実的な「~たら」はナラ用法)ので、読み進めるときに混乱してしまった(前稿も同様)
  • かといって「継起」と「非現実」ではうまく切り分けられないし、「継起」「非継起」のようにA or ¬Aみたいにすると本質的なところを捉えられない(前稿の問題提起)
  • とすると、どう現代的なあり方に収斂するか、というゴールを決めて、タラの本質っぽいものとナラの本質っぽいものへ、という検証をする、というやり方も大事だなと思った

*1:現在・ナラで訳出されているが、「ていたのなら」の方が自然か?