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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

三宅知宏(2017.11)日本語の発見構文

三宅知宏(2017.11)「日本語の発見構文」天野みどり・早瀬尚子編『構文の意味と拡がり』くろしお出版

要点

  • 「外に出てみると、雨が降っていた」のようなものを「発見構文」として扱う。課題として、
    • 型の記述
    • テミルが生起しやすいこととその特性
    • 英語との対照

型の記述

  • [ X ]{と/たら}、[ Y ]
  • Xの後、ある状態を知覚し、その状態がYであると了解する
  • Xは意志的な行為が基本だが、非意志的な場合もあり。その場合は、テミルが必須となる

テミルが生起しやすいことについて

  • 形態的有標性の仮説(三宅2011*1・2015*2):構文的意味を表示するために、日本語は形態的に有標であることを志向する傾向にある(英語のように文型だけで表すのは難しいので)
    • This car sells well. / この車はよく売る[中間構文]
    • Your home is very close to the campus. / 君の家は大学にずいぶん近い[同意要求文]
    • 移動「ていく」、受益「てやる」、状態化「ている」、結果「てする」など、補助動詞が最も生産的
  • 発見構文の意味の一部を「テミル」が担っていると考える(「~の仮説」が主文末以外にも適応できるとする)
    • X「の後」の部分を「テ」が、ある状態を「知覚」の部分を「ミル」が担う

英語の懸垂分詞構文との対比

  • 懸垂分詞構文:主節主語と一致しない分詞構文で、「概念化者が懸垂分詞節の描く動作主的移動を行った結果、主節内容を知覚経験する」(早瀬2012*3)もの
  • これと比較してみると、
    • 発見構文はある程度要素に還元できるが、懸垂分詞構文はできない
    • 発見構文はごく普通の現象だが、懸垂分詞構文は規範的でない
      • 懸垂分詞構文は(通常の分詞構文とは異なり)主体的な知覚を伴うが、英語では主体的な事態把握が好まれないために規範的な表現ではなくなる、とされる(一方で日本語は主体的把握を好む)
    • 非意志的な場合はテミルが生起しなければならないこともここから説明可能
      • 終わってみると(*終わると)、盛会だった
      • 条件節が非意志的行為の場合は主体的な事態把握が困難であり、概念化者が入り込めないために、「テミル」が必須になる

気になること

  • 「非意志的な場合」について、歴史的経緯と認知的観点による説明に菊田(2011, 2013)*4がある
    • こちらはむしろ「非意志的なものに拡張した」と見るもので、本稿の「意志的な場合は随意的、非意志的な場合は必須」という説明とは逆の方向性を持つが、歴史的には前者のように見るしかないだろうし、現代語共時態の構文の観点からであれば後者のように中心的なものから見るのが妥当
    • この差は、菊田論文は「テミル」の側から見るが、三宅論文が「~と」の側から見ることにも起因
    • 逆に金水(2004)*5は現代語の「テミル」の側から見るもの
    • とすると、非意志的テミルの成立について順接条件の側から見ることで、何かよい結果が出るだろうか

*1:『日本語研究のインターフェイスくろしお出版

*2:「日本語の「補助動詞」と「文法化」・「構文」」秋元実治他編『日英語の文法化と構文化』ひつじ書房

*3:早瀬尚子(2012)「英語の懸垂分詞構文とその意味変化」畠山雄二編『日英語の構文研究から探る理論言語学の可能性』開拓社

*4:「複合動詞テミルの非意志的用法の成立」『日本語文法』11-2, 「テミル条件文にみられる構文変化の過程」『認知言語学論考』11

*5:「文脈的結果状態に基づく日本語助動詞の意味記述」影山太郎・岸本秀樹編『日本語の分析と言語類型』くろしお出版