菊田千春(2011.9)「複合動詞テミルの非意志的用法の成立:語用論的強化の観点から」『日本語文法』11-2
要点
- テミルの非意志的用法の成立に、語用論的推意の前景化による試行の意味の希薄化を想定
問題
- テミルは主節において試行の意で用いられ、意志的行為を表すという制約があるが、条件文においてはそれが解除される
- 船が*沈没してみた/沈没してみると、/沈没してみろ、
- 試行のテミルの成立は早いが、非意志的テミルの成立は遅く、近世半ば以降
問題
- 条件文において例外的にテミルに非意志的動詞が前接してよいことの事実の指摘に留まり、その理由はほぼ論じられていない
- テミルによる条件文を、「前件のテミル句の内容を契機として後件の発見がなされた」ものと捉えるものはある。意志動詞を「試みて発見」、非意志動詞を「経験して発見」とし、試行と経験に連続性を見出したうえで、そのどちらかの側面が焦点化されたことによる、と考えるものだが、それでは条件文だけに意志性の制約が起こる理由は説明できない
- 通時的視点によるものでは、非意志的な条件文テミルの成立時期の遅さが説明されていない
- うまれてから始めて、やきもちをやかれてみる。どふもいへねえ心持ちだ(江戸生艶気樺焼)*1
条件文テミル
- 上代、Vミルに試行の意を持つ条件文あり、Vテミルの例はいずれも本動詞見るの意を残すものの、試行の解釈も可能
- 田兒の浦ゆうち出でてみれば間白にそ不盛の高嶺に雪は降りける(万318)
- 中古においても確かに現代とほぼ同じだが、現代とは異なり、「知覚情報に基づいて発見」しかない
- さしのぞきてみればこの家の女なり。(大和物語)
- 物おもひのふかさくらべにきてみれば夏のしげりもものならなくに(蜻蛉)
- 中世には、後件が知覚情報に関係しない思考内容を表す例
- 実ノ覚ヲ開キテ見レバ、無始ノ生死、始覚ノ涅槃、タヾ一念ノ眠ナリ(沙石集)
- 近世に、話者の予測や見解を表す例が増える
- 近世に非意志的テミルの例
- うまれてから始めて、やきもちをやかれてみる。どふもいへねえ心持ちだ(江戸生艶気樺焼)
- こふなつてみれば、ふびんだよ(通言総籬)
非意志的テミル
- 知覚情報→高次認識→非意志という順序だが、その関連性はよく分からない
- 前件に思考動詞が来る例に着目
- 何と思案して見ても、此の道具受取っては。(鎚の権三)
- おれハしらぬがぬれといふを是からかんがへて見るに.うきはしのもとにて、さかほこのしづくよりおこりて(鹿の巻筆)
- これは、後件が知覚情報に限定されている間は現れ得ない
- しかも、意志性制約の消失に繋がる語用論的推論を生じさせる可能性を持つ
- わざわざ考えることを「考えてみると」のように言うことの情報価値は低く、談話的機能を持った結果、試行の意味が背景化された、と考える
- すなわち、非意志的テミルは前件だけの問題ではなく、前件と後件の関係の変化により可能となった
- 当初のテミル条件文は行為や出来事間の因果関係:行為の試行+状況の知覚・発見
- 後に、論理的な因果関係:見解を持つ理由+見解/見解の論拠+見解
雑記
- Wordの相互参照機能に「"上"または"下"をつける」というオプションがあり、なんじゃこりゃ?と思ったら、参照先が文章の下の方にあれば「下の○○」、上の方にあれば「上の○○」とする機能だった。「なんじゃその一太郎みたいな機能!」と笑ってしまったし、場当たり的なマイナー機能を指す「一太郎みたいな機能」という概念が自分の頭にあったことにも驚いた
*1:条件文?