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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

高桑恵子(2017.2)「御覧ぜらる」における対者敬語の用法

高桑恵子(2017.2)「「御覧ぜらる」における対者敬語の用法」『国語研究』80

問題

  • 「御覧ず」には関係規定性があるが、「見たまふ」には関係規定性が認められない
    • (桐壺帝ガ、桐壺更衣ヲ)いとどあはれと御覧じて、(桐壺):動作主体が動作客体より上位者
    • この若君(=若紫)、幼心地に、(源氏ヲ)めでたき人かなと見たまひて、(若紫):動作主体が動作客体より下位
  • 「御覧ず」には受身の形があるが、「見たまふ」にはなく、「見えたてまつる」が用いられる
    • かくおほけなき(私ノ)さまを(アナタニ)御覧ぜられぬるも、かつはいと思ひやりなく恥づかしければ、
  • 「御覧ぜらる」は「見えたてまつる」より敬意が高いだけでなく、特徴的な用いられ方があり、そこに問題がある

「御覧ぜらる」の対者敬語用法

  • 主体と客体の人称、話し手と聞き手の上下関係、同一発話内の共起語を見ると、
  • 「御覧ぜらる」主体と客体の人称は「一人称が二人称に御覧ぜらる」という制約がある(見えたてまつるにはない)
    • (私ガ、アナタニ)御覧ぜらるることの変りはべりなむことを、口惜しく思ひたまへたゆたひしかど(夕顔)
  • 話し手と聞き手の上下関係、聞き手は上位者に限られる(見えたてまつるにはない)
    • 関係規定性のある「御覧ず」を「一人称が二人称に御覧ぜらる」と用いるため
  • 同一発話内に、下二段たまふ・はべりの共起が多く、聞き手へのへりくだりの性質(対者敬語的)があるように見える
  • 自分を低める表現が多く、これも対者敬語的な性質を持つ
    • なめげなる姿を、すすみ(アナタニ)御覧ぜられはべるなり。(梅枝)
    • 数にもあらずあやしき(私ノ)なれ姿を、うちとけて(アナタノ主人デアル女三宮ニ)御覧ぜられむとは(若菜下)
  • 他の対者敬語と比較すると、
    • 下二段たまふは一人称側の人物に用いるという点で共通
    • 申すは地の文にも発話文に用いられ、素材敬語・対者敬語の両方の用法を持つという点で共通
      • 素材敬語:(惟光ガ、源氏ニ)申す
      • 対者敬語:かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。
  • 御覧ぜらるが対者敬語として用いられる理由を考えるため、まずは客体敬語→対者敬語のプロセスを考える
    • 客体敬語の場合、関係規定性のある客体敬語を発話文で、しかも主体は話し手、客体は聞き手という場で用いると、客体である聞き手に敬意が向かう
    • この環境下では、客体敬語の敬意が向かう人物が対者敬語の敬意が向かう聞き手と同一人物になる
    • 関係規定性があるので聞き手は話し手より上位者になり、へりくだる気持ちが生じる
    • これが客体敬語から対者敬語の用法が生じるプロセス
  • 対者敬語は「申す」「承る」など、客体敬語由来のものばかりだが、主体敬語「御覧ず」も「御覧ぜらる」で客体敬語相当の働きをするので、同様にして対者敬語の用法が生じるものと考える
    • A→B「CガDニ御覧ぜらる」 と考えたとき、
      • 御覧ずには関係規定性があるのでCは下位者、Dは上位者
      • 客体敬語相当で、話し手AからDに敬意が向かう
    • 「話し手が聞き手に御覧ぜらる」しか用いられないので、
    • A→B「私(A)ガあなた(B)ニ御覧ぜらる」 となり、対者敬語の用法を持つ

雑記

  • 12(金)に学振の結果発表あり、ログイン全然できなくてその間に動悸で倒れるかと思った