坂詰力治(2010.10)『長恨歌抄』に見える「まいけれども」をめぐって:接続助詞「けれども」の成立説を検証する
坂詰力治(2010.10)「『長恨歌抄』に見える「まいけれども」をめぐって:接続助詞「けれども」の成立説を検証する」『近代語研究』15
要点
- 「けれども」説について、「まいけれ+ども」→「まい+けれども」説を中心として検証
- 「まいけれども」説は、積極的に支持されるわけではない
- 長恨歌抄諸本
- 只ノ時ハサヤウニハ、アルマイケレドモソ(内閣本)
- 京大本の当該箇所は文語色が強く、倒置した表現
- サヤウニハ、有マシケレトモ、漢家天子ノ使ト聞テ、…(京大本)
- 「けれども」成立諸説
- 「ケレ」形容詞説、「マイケレ」説、「けり」已然形説があるが、特にマイケレ説を検証する
- 長恨歌抄における「ケレドモ」文字列には形容詞のものもあるが、「ナ+ケレドモ」と分析されることはなく、上例より、マイケレ説が指示される
- 昔ノ面カケハナケレトモ、
- 天地ホト長久ナ物ハナケレ共、
- 唐家トアルヘケレ共、
- 土井本太平記では、形容詞の例が多いが、文語文ではやはり形容詞が再分析を起こす環境にない
- 最愛の美人を三人まで失ひつる事は悲しけれども、
- 「相違あるまじけれども」は再分析可能
- 一方、「カリ活用+ケレ(過去)+ドモ」の例があり、「けり」已然形説も有り得る
- 鬱胸いよいよ深かりけれども、
- 近付くやうは無かりけれども、
- 虎明本と天草版平家を見ると、
- お入りない+ども:「おりなけれども」で、「おりないけれども」ではない
- たし+ども:「参たけれども」で、「参たいけれども」ではない
- まじ+ども:ござるまひけれ共
- けり+ども:ほくもんに引付たりけれ共、
- 天草版も同様
- 要するに、終止形に接続するような「けれども」は見られず、擬似的に「まいけれども」となる例しかなく、必ずしも「まい+けれども」説は有力視できない