西田絢子(1978.4)「「けれども」考:その発生から確立まで」『東京成徳短期大学紀要』11
要点
- ケレドモの歴史は以下の4期に分けられる
- 室町後期:マイ・ウに下接
- 江戸初期:タイ・タ、形容詞・動詞などに下接
- 江戸中期:すべての活用語に下接可能に
- 江戸後期:接続詞・終助詞・ケドモも現れより現代語的に
ケレドモの成立について
- 発生期にマイケレドモに偏ることから、マイケレ=ドモ > マイ=ケレドモ を想定する
- マイ(<マジイ<マジ)は当初から不変化助動詞というべき語であったこと
- ナレドモ、アレドモなどからの類推
- 助動詞ケリが死語になっていたこと
- 係り結びの崩壊、なども条件として考えられる
- マイケレドモ説はすでに湯澤が述べているが、マジケレドモからも分離意識があったとする点は同意できない
- マジでも可能であるならば、シク活用一般でも可能であったはずだが、実例に伴わない
- マジでも可能であるならば、ケレバという語が出てくるはずだが、それも存在しない
- シク活用ケレドモ説、タッ(<タリ)ケレドモ説も、採れない
発達
- 江戸初期にはウの下接例が多く、タイ・タ・ベイ、形容詞、動詞型活用の語にも下接する
- すなわち、以下の傾向が読み取れる
- 語形変化のない語から語形変化のある語へ
- 新しい語から古くからある語へ
- 辞的な語から詞的な語へ
- 江戸中期にはすべての活用語に下接する可能性を持つようになり、現代語としての基盤を形成する
- 江戸後期に確立する、その裏付けとして、
- マイ・ウの例が他の語に比べて伸びていない
- 終助詞・接続詞の例がある
- ケレド・ケドモや、ケレバの例がある
雑記
- 朝起きざるを得ない状況が続いていて眠い