金水敏(2011.9)言語資源論から平安時代語を捉える:平安時代「原文一途」論再考
金水敏(2011.9)「言語資源論から平安時代語を捉える:平安時代「原文一途」論再考」『訓点語と訓点資料』127
要点
- 「平安時代は言文一途の時代であった」とする考え方の批判的検討
前提
- 言語に性質の異なる複数の階層が存在し、
- 手に入れた言語を用いて何らかのベネフィットを得ることができるような「言語資源」として捉える
- 築島(1969)による平安時代の言語資料の分類、「1 漢文の世界」「2 平仮名文の世界」「3 変体漢文・漢字片仮名交じり文の世界」の位置付けを考える
- 漢文の世界
- これによって漢字・漢語が新たな言語資源として流れ込むことになり、漢文訓読体そのものが知識人そうの表現手段となる資源に
- 日本の広域言語の中核をなす文体となる
- 変体漢文・漢字片仮名交じり文もこれと重なる部分が多い
- 平仮名文の世界
- 音声言語を巧みに写しているというだけで、音声言語そのものではない
- 漢文の世界
- 平安時代の音声言語について、その実態に共通理解があるとは言い難く、特に階層差や方言差についても具体的なところは分からない
- 「仮名文学に断片的に示された言語だけが平安時代の音声言語の全てではあり得ないはず」
言文一途
- 平安時代言文一途論は、大略、次のような歴史認識の一部にある
- まず「言文一途」について、
- 書き言葉は出発点で話し言葉と必ずしも一致しない
- そもそも日本では外国語としての漢字・漢文を受容し、それを改変してきたわけで、一致していたということはあり得ない
- 個別的に見ても、音声言語・書記言語の共有度合いが高かったとは言えるが、「一途」とは言えない
- 仮名文学であっても、たとえば土左日記は漢文的要素が含まれるわけで、むしろ音声言語を自由に取り込んだのは10C後半~11Cくらいまでの短い期間だったのではないか
雑記
- いろいろ終わらないから論文読むのを止めたいが、止めたら最後一生再開しなそうなので続けざるを得ない状況